須之内写真館・12
【優しい水・1】
国家秘密保護法案が衆議院を通過した。
写真という表現芸術を生業としている直子には、少し気がかりだった。
直子は、年間に数十万枚という写真を撮り、その二割方が世間の目に触れる。毒のないところでは、学校の集合写真や、証明写真。でも、中には何気なく撮った写真が雑誌に紹介され、その写真達の背景にはいろんなモノが写りこんでいることがある。
ビルの谷間から空を撮った写真の中に、偶然オスプレイが写りこんでいたこともある。働く女性をテーマに撮った中に、警視庁の司令所で働く女性警官を撮ったこともあるが、ディスプレーを見せた段階で、背後のモニターの一部にボカシを入れるように言われたこともある。
ただでも、こんな調子なのに国家秘密法案なんかできたら、それこそ直子の写真はクレームがいっぱいつくだろう。下手をすれば、理由も分からず警察に御用かもしれない――そんな心配が頭をよぎった。
「大丈夫じゃないか……」
読んでいる新聞を後ろから覗き見しながら祖父ちゃんが言った。
「なんで?」
「ここ」
祖父ちゃんは、小さな囲み記事を指した。
――三原久一、三年ぶりに総理と会見――
三原久一とは、先日直子が、伝説の『命引き延ばしのライカ』で写真を撮った、元政治記者の評論家で、総理の父親ともケンカしまくっていたという硬骨漢である。
「二本や三本釘を刺しているさ」
祖父ちゃんは、そういいながら、例のライカを金庫の中にしまった。
そこに電話がかかってきた。ガールズバー『ボヘミアン』のオーナーである松岡秀和である。
「すみません。割り込みでお願いして」
松岡は、8人の女の子を連れて恐縮しきりであった。
「いいえ、一組、時間の変更があったので、ちょうど収まりましたから」
松岡は、店のエントランスに飾る女の子の集合写真と、一人ずつのポートレートを撮りにきたのである。
松岡は持ってきたAKBのしっとりした卒業ソングのCDをかけ、女の子全員にまんべんなく声を掛けながら雰囲気を作っていく。手間の掛からないお客である。
「いや、気を悪くしないでくださいね、ちゃんと店のコンセプトが出るような写真にしたいものですから」
「いえいえ、なかなかいい表情引き出してますよ」
お世辞じゃなく、直子は、そう言いながらシャッターを切った。
松岡は、媚びるような笑顔は一人もさせなかった。
適度に自信をもった笑顔にさせている。これは、ここだけのムードでは作れない。松岡自身が普段、女の子達を、どう扱っているかよく現れていた。
撮り終わったあと、松岡と直子も加わって10人で賑やかに写真を選んだ。
「サキ、どの写真も目がヘタレてる」
サキという、どうみても日本人の女の子が困った顔をしている。
「そこが、サキらしいんだよ。一見ヘタレていそうで、きちんと自分の世界がある。見る人が見れば分かるよ」
「そっかなあ……」
「そうだよ。苦労人のあたしも思うんだ。自信もっていいよ」
杏奈まで、生意気に応援する。話の感じから新人と直子は見た。
「ちょっと、ユニークな子なんですよ、サキは」
「また、例のお水半分テストやったんですか」
「もちろん。で、答がふるっていたんですよ」
「え、まだ半分と、もう半分しか以外に答があるんですか?」
すると、女の子がみんな笑い出した。
「サキはね『優しい水ですね』って言ったんですよ!」
「優しい水……?」
直子は、不可解を絵にしたような顔になった。すかさず杏奈がシャメった。
チョコ味のカレーを口にしたような自分の顔に、直子は吹き出してしまった……。
はるか 真田山学院高校演劇部物語・80
『第八章 はるかの決意3』
「ゲ、なに、これ!」
停学課題の袋を開けてタマゲタ。反省文の原稿用紙二十枚、これはチョロい。
あと国、数、英、そして、社会(細川先生の教科) 量がハンパじゃなかった。まるで、夏休みの宿題並だ。社会なんか、教科書百ペ-ジを写せ……。
自分の停学二週間論が通らなかった細川先生の意趣返し……怒っても仕方がない。
昼ご飯も晩ご飯も抜いてとりかかった。
お母さんがパートから帰ってきても、わたしはまだ続けていた。
「はるか、食事もしてないの……」
「うん、でも、がんばらなきゃ、三日で終わらない……」
お母さんが、鍋焼きうどんを作ってくれた。
夜中の十二時をまわったころ、さすがに居眠りをしてしまった。
カーペットの上で、腹這いになってやっていたのが良くなかったのかもしれない。
カリカリ鉛筆を滑らせる音で目が覚めた。
ボンヤリ目のピントが合ってくる……机に向かって、課題をやっている人の姿が見えた。
軍足の靴下にモンペ……セーラー服にお下げ、襟に太い白線と細い白線が二本。チラッと見えるリボンは赤だ。
……マサカドクン?
――あら、起こしてしまったわね。
「あなた、普通にしゃべれんの?」
――やっとね。
「マサカドクンて、女の子だったの?」
――まあね、こうやって姿を取り戻すのに、十二年もかかってしまったけどね。
「十二年……」
――そうよ、あなたと将門さんのところで出会って十二年。
「わたしの課題やってくれてるの?」
――やりたくても、こういうのできなかったから、楽しいの。さあ、はるかちゃんは寝て。わたし夜の間しか手伝えないから。
そこで記憶が途絶えた。
「はるか風邪ひくわよ」お母さんが半天をはおって起きてきた。
「え……え、わたし……」
「めずらしく、机に向かってやってたのね」
「わたし……」
課題は三分の一近くできていた。そして、そこに書かれている字は、紛れもなくわたしの字だった。
「タキさんがね、停学中のプレイスポットての教えてくれたわよ」
眠そうに目をこすりながらメモをくれた。学校の先生に見つかりそうにない映画館やゲーセン。ごていねいに各館共通の割引チケットがついていた。
わたしは課題の山を写メに撮り、「ご厚意には感謝しますが、こういう状況ですので」とメッセをつけて送信した。
「シャレのわからん学校やのう」
と、折り返しの返事。タキさんも宵っぱりだ。
「やったね、こういう停学は、勲章ものだよ」
と、真由さんからもメールがきていた。タキさんが伝えたんだろう。
タキさんてば、停学をなんだと思ってるんだろう。オッサンたちの時代とは違うんだよ。
しかし、ありがたい激励であることは確かだった。
由香をはじめ、他の面々からも。
停学中の生徒とは連絡禁止なんだけど、さすがにそこまでイイ子ちゃんをやろうとは思わない、みんなもわたしも。
目覚ましがわりに、みんなに返事を打っておいた。
「稽古は大丈夫! 山中が代役に入ってくれている。早よ戻らんと役取られるで」
タロくん先輩のメールは心強かった。稽古のことが一番気になってたから。
そして、またひとしきり課題の山に取り組んだ。
朝、目が覚めると、課題は半分近くできていた。
わたしが自分でやったのか、あれからマサカドクンがやったのか……。
月にほえる千年少女かぐや(改訂版)・10
大橋むつお
時 ある日ある時
所 あるところ
人物 赤ずきん マッチ売りの少女 かぐや姫
マッチ:で、なにしに来たんだっけ?
赤ずきん: えと……かぐやさんが、やだとか変だとか思うこと聞いてたんだよ。
かぐや: そうでございましたわね。
赤ずきん: そうだよ、携帯の着メロとか、ニコニコ写真とか。
かぐや: ええ。でも……これかなって思って口にすると、スルッとそこからすりぬけてしまって……けっきょく、どうでもいいことなんですよね……そういうことは。
赤ずきん: でも、そういうことがいっぱい重なってさ……
かぐや: ……先日。
赤ずきん: ちょっと前?
かぐや: カチカチ山のタヌキさんが、お亡くなりになりましたでしょ……
マッチ: うさぎさんが沈めちゃったんだよね。泥舟に乗せて!
赤ずきん: あのうさぎって、さっきのイナバの白うさぎと関係あんの?
かぐや: いとこ同士でらっしゃいますの。
マッチ: やっぱ女の子?
かぐや: ええ。で、たぬきさんは気のいいおじさま。
マッチ: なんかスキャンダラスなおはなしね!?
赤ずきん: なんか、意味深な事情があるんでしょ?
かぐや: おふたりの最後の会話……
赤ずきん: どんな?
かぐや: おぼれながら、たぬきのおじさまは、こう叫ばれました「惚れたが悪いか!?」。で、うさぎさんは、お持ちになったカイでおぼれるたぬきさんに最後の一撃をくらわせになって、ぽつんと一言「ほ、ひどい汗……」。
マッチ: う~ん……
赤ずきん: そうなんだ……
かぐや: で、校長先生が全校集会で「命の大切さ」って、お話なさってましたでしょ。
赤ずきん: 人の命は山よりも重いんだよ君たち……校長のきまり文句。
かぐや: 重くて軽いお話。
赤ずきん: え……?
かぐや: あのお言葉正確には「命は山よりも重く。鴻毛より軽し」と申しますの。下半分省略。幽霊さんみたいなお言葉。
赤ずきん: あたし、そこんとこ居眠りしてて聞いてない。
かぐや: たぬきさんとうさぎさんは、その最後の一言。それで不滅の存在になって生き続けてらっしゃると思ってますのよ……トカトントン……
マッチ: あ、あの時の金槌の音。
かぐや: あら、おぼえていたの、あの金槌の音!?
マッチ: うん、とびらの修理にきてた大工さん。
赤ずきん: そうだった?
マッチ: 校長先生が「エヘン!」というと、トカトントン。「……人の命というものは」トカトントン。「お互い命を大切に」トカトントン。
かぐや: あの大工さん、あれが最後のお仕事でしたのよ。ガンで入院されるんで、最後のお仕事きっちりしようって心をこめて……
マッチ: トカトントン……おかげで、校長先生のお話ひとつもおぼえていない。
赤ずきん: 金槌がなくってもおぼえていないわよ。
マッチ: 失礼ね。
赤ずきん: どっちに?
マッチ: もちろん……
かぐや: 言わぬが花。
マッチ: 花よりダンゴ!
かぐや: おほほほ……
赤ずきん: あははは……あたし、今、校長先生にはじめて同情した。
マッチ: もう……!
赤ずきん: また牛だ!
マッチ: もう!!
赤ずきん: また、じゃんけんになるぞ。
かぐや: よしましょう、マッチさんはとても気持ちのきれいな人なんですから。
マッチ: ね、今から学校に行ってみない?
二人: え!?
マッチ: 放課後だから、もう誰もいないし……あの……大工さんのなおしたとびらとか見に行かない? きっと学ぶべきものがいっぱいある……かも。
赤ずきん: そ、そうだよかぐや。マッチもたまにはいいこと言うじゃん。
高安女子高生物語・39
〈有馬離婚旅行随伴記・4〉
殺されてたんは、新興暴力団のオッチャン。
見た感じは、普通の会社員みたいやったけど、いわゆる経済ヤクザというやつで、うちのお父さんなんかより。よっぽど株やら経済に詳しいインテリさん。
で、なんで、このインテリヤクザが、明菜のお父さんの部屋で死んでたか?
どうやら、対立の老舗暴力団とトラブって、温泉に潜んでいたらしい。ほんで、見つかって逃げ込んだんが、明菜のお父さんの部屋。本人の部屋は隣りなんで、どうやら、逃げるときに間違うたらしい。激しく争うて、奥の部屋はメチャクチャ。で、お父さんのジャケットが窓から外に飛び出した。
ここから誤解が始まった。
警察は、逃げてきたヤッチャンと明菜が部屋で出くわして、明菜が騒いでトラブルに。ほんで、なんかのはずみで、ヤッチャンが持ってたナイフで刺し殺した。
ほんでから、ここからが大問題。
正当防衛か、過剰防衛かで、もめた……。
うちは、必死で説明したけど、警察は女子高生が友達を助けるためにウソついて庇うてると思てる。
うちは、思た。いっそ誰かが露天風呂覗いて盗撮でもしてくれてたら、証拠になったのに。
証拠というと、血染めのナイフ。てっきり撮影用の偽物や思たから、明菜は気楽に握った。ベッチャリと明菜の指紋が付いてる。それから、慌てふためいてるうちに明菜の浴衣には、血が付いてしもてる。状況証拠は真っ黒け。
さらに悲劇なんは、明菜のお父さんもお母さんも、警察の説明を信じてしもて「正当防衛!」と叫んだこと。もう、信じてるのはうちしかおらへん。ごっついミゼラブルや。がんばれ、女ジャンバルジャン!
うちは、無い頭を絞った。明菜のためにガンバルジャンにならなあかん。
お父さんの売れへん小説を思い返した。
――プロの殺しは、一目で分かるような証拠は残さへん――
小説一般のセオリーや。ヤッチャン同士のイサカイに、今時古典的な鉄砲玉は使わへん。
プロを雇うてるやろ。せやから足の着きやすいチャカ(ピストル)は使うてへん。ホトケさんには防御傷がない。部屋の中を逃げ回ったあげく、ブスリとやられてる。警察は逆に明菜が逃げ回った時に部屋がメチャクチャになった思てる。
で、もう一つ気いついた。プロの殺しやったら、すぐに逃げたりせえへん。目立つからや。犯人は予定通り泊まって、気楽に温泉に浸かって帰りよるやろ。プロの仕事は目立たんことが大事やから。
明菜のお父さんとお母さんはウロがきてしもてる。例え正当防衛にしても明菜が殺したいう事実は残る。明菜の心には癒されへん傷が残るやろと思てはる。
うちは、なんとしても明菜の無実を証明したいと、思た……。
里奈の物語・38
『基本的に あたしたちは』
忘年会に行くので、早めに公園に行った。
公園で忘年会をやるわけじゃなく、忘年会の前に猫たちの様子をみておこうと思ったのだ。
「え、朝もエサをやるんですか?」
早朝の公園には、もう猫田さんたちが来て猫たちの世話を始めていた。
「日に二回ね。でも二回とも来るんは二三人、あとは来られる時に来てもろてるの」
「そうなんだ」
「そやから、里奈ちゃんも来られる時でええねんよ」
あたしは気まぐれのお手伝いだから、なんだか申し訳ない。
「こういうことは、ノンビリ余裕もってやらなら、長続きせえへんからね。今のペースでええよ」
さすがは年長者、あたしの気持ちをフォローしてくれる。
のらくろもすっかり食卓の輪の中に入っている。
ウズメの姿は見えない、やっぱり鈴野宮さんのところに戻っているんだろうか。
忘年会は買い出しからやらなきゃならないと思っていたけど、拓馬のお祖父さんが全部用意してくれていた。
「すみません、用意していただいて」
「いや、家の中で若い人の声がしてるだけで、年寄りには嬉しいもんです」
そう言って、忘年会の費用も遠慮される。
「相変わらずのすき焼きで、わたしの方が恐縮やから。肉と飲み物は冷蔵庫やから、直前に出してね」
それだけ言うと、お祖父さんは自治会の寄り合いに出ていった。
「里奈、お風呂入ってきた?」
台所から、お肉や飲み物を運びながら、美姫に聞かれた。
「うん、朝から猫の世話してきたから」
「シャンプーの香りのする女の子てええなあ」
トレーを持った拓馬がクンクンしてくる、そんなことをしても、不思議と拓馬はいやらしくない。
「エロゲに香りが付いてるとええのになあ」
「えー、そういう発想?」
「うん、女の子との出会いなんかに、シャンプーとかリンスの香りがしたら効果的やと思わへん?」
「それなら、いっそ、あらゆる匂いがするゲームなんかええのんとちゃう?」
美姫が飛躍する。
「あらゆる匂いいうのんはどうかなあ……ここ言う時に効果的な匂いがしたらええと思うねんけど」
「人間の鼻って鈍感だからさ、ずっと匂ってたら感じなくなるんじゃないかな……ガス点けるね」
「うん、エロゲて2Dの情報だけやんか。そこがテレビゲームとちゃうええとこやと思うねん。二次元の情報を脳みそで変換したり増幅したり、すごい想像力をプレイヤーに要求するもんや。こんなに想像力を要求されて苦痛でないもんは、世の中ないと思う」
「そやね、あたしの認識不足やったなあ。芝居も同じとこあるわ。あの狭い舞台で、演技以外は、程度の差はあるけど、みんな暗示やもんね、道具も照明も音響も」
「言えてる。逆に、演技がまずかったら、暗示するもんが上出来でも芝居は失敗だもんね」
「せやから、立ち姿、ビジュアル、音響がよかってもクソゲーて言われるもんがいっぱいある……ヘットで油ひくで」
「じゃ、やっぱり論ずべきは、作品の中身だということね!」
あたしは熱くなってきた。
「うん、せやけど、そういう周辺の技術が上がったら、すごい名作になる作品がけっこうある」
「そういうのを、今日は聞きたいなあ」
「任しとき……さ、肉から入れるで……」
鍋に肉が入った。リビング中に肉の香りが満ちる。とたんにエロゲの芸術談義は止んでしまう。
基本的に、あたしたちは食べ盛りのハイティーンなんだ。そう安心して2018年最後の日は佳境に入っていく……。
須之内写真館・11
【ドイツのカメラ・2】
「直子、ちょっときてくれないか」
自分の部屋で、コンテストに出す写真を選んでいた直子は、祖父ちゃんに呼ばれてスタジオに降りた。
「なに、お祖父ちゃん?」
「オレの代わりに、この仕事やってくれないか」
そういう祖父ちゃんの手には、例のライカが載っていた。
「これ、あの引き伸ばしのライカじゃないの」
「ああ、これで撮ってきて欲しい人がいるんだ」
「……いいわよ」
政治記者の大御所と言われるわりには、質素で小さな家だった。
百坪ほどの年代物の日本家屋。多分資料庫なのだろう、一角を無造作に鉄筋の部屋にしてある。その部分を除けば、定年退職をした高校の先生の家のようだった。
「御免下さい、須之内写真館からまいりました」
古めかしいインタホンに声をかける……返答がない。もう一度と思って息を吸い込んだところで、インタホンが返事をした。
「開いてるよ、入って左の部屋」
「失礼します……」
家の中は、一間幅の玄関。下駄箱やサイドベンチ、傘立てなどが、昭和も昭和、そのまま『三丁目の夕日』のセットにつかえそうな時代物だった。上がりかまちと廊下の手すりに住人が老人であることを伺わせた。
「すまんね、デジタル化する資料を選んで……これが、なかなかの難事業でね」
「あの、お手伝いしましょうか?」
「あ、すまん。じゃ、この段ボール書斎に運んで。あ、突き当たりの南側」
言われたままに書斎に運ぶと、台所とおぼしきあたりで、お茶を入れる気配がした。
「どうぞ、お構いなく」
「構やせんよ、ワシが飲みたいだけ。カミサンは整体に出とってな。君は代わりに相手をするんだ」
トワイニングの紅茶に、お茶請けは浅草のせんべいだった。老人……三原久一は老人とは思えない景気の良さでせんべいを三枚食べた。直子はやっと一枚だ。
「君は玄蔵君のお孫さんの直子さんだね。今朝、君の作品を百枚ほど観たよ。なかなか人を撮るのが上手いね。あれは歳の割には苦労してなきゃ、撮れない写真だよ」
「恐れ入ります。祖父と父のおかげです」
「ハハ、意味深な答だね」
そう言うと、久一老人はカツラをとった。見事なハゲ頭が現れた。
「あ……」
「ハハ、これは仕事するときの帽子代わり。ハゲ頭から風邪をひかんようにな」
それから久一翁は、現代写真や、若者文化、果てはAKBの日本文化における位置づけまで語りはじめた。小林よしのり真っ青な博学であった。
「ここいらでいいかね?」
「あ、よかったら、そのクスノキの横に立っていただけますか」
「なかなかの観察力だね。このクスノキは、ここがまだ旗本屋敷からあったシロモノで、都の銘木にも指定されとるんだ」
「そうなんだ……この公園で、先生に釣り合いそうなものって、そのクスノキしかないと思って」
「うまいこと言うなあ。直子君は政治記者でもやっていけるよ」
「ありがとうございます。じゃ、いきましょうか」
「あ、その前に……」
久一翁は、孫と話すような距離まで近づいて直子の目を見つめた。
「な、なんでしょうか?」
「五年でいい。そのつもりで撮ってくれ」
「五年ですか?」
「ああ、五年」
「……どうして五年なんですか?」
「ワシは元気なようだが、このままじゃ一年の命だ。この五年は、日本にとって正念場なんだ。日本人は、まだ、あどけない少年のような平和主義から抜け切れん。不肖三原久一、この五年の間にアジアと日本に起こることに目を光らせ、日本の舵取りたちを意見し続けようと観念した。五年は必要だし、五年以上は必要ない。五年たったら写真は消却し有為な人のために使ってくれ」
そう言うと久一翁は、クスノキの横に、自然な……地面から生えたような姿勢でにこやかに立った。
直子は圧倒された。祖父ちゃんは、これを感じさせるために自分を指名したと感じた。
はるか 真田山学院高校演劇部物語・79
『第八章 はるかの決意2』
停学の初日、学校に母子共に呼び出されて、校長先生から申し渡された。
「……ということで、坂東はるか。本日より三日間の停学を申し渡す。具体的な指導は学年生指と担任の先生から受けるように」
わたしは、教育勅語並の最敬礼で拝聴した。お母さんはただただ恐縮。
先生達の反応は、校長室を出てから様々だった。竹内先生はニッコリ。乙女先生はホッと。細川先生は、不足顔。
「これ、停学課題。しっかりやらんと延長やからな」
ぶっといA4の封筒を叩きつけるように渡していった。
その後ろ姿に、由香がアッカンベーをした。
「由香ちゃん、いつも仲良くしてもらってんのに、ほんとうにごめんなさいね、お顔とか傷になってない?」
「大丈夫ですよ、お母さん。こんな傷、子どもの頃からしょっちょうやったさかい」
「でも……」
「腫れがひいたら元通りですから」
「蕎麦に入れるビックリ水みたいなもんですよ、これで由香も少しは可愛くなりますよ」
と、吉川先輩のフォロー。
「約束、忘れんように……」
由香が耳元で、またささやいた。
母子であちこち頭をを下げて玄関に。
事務室の前に大橋先生が演劇部のみんなと一緒に待っていた。
お母さんはここでも平身低頭。
「大丈夫ですよお母さん、金曜日には停学が明けます。稽古は十分間に合いますから」
他のみんなも、異口同音に「大丈夫」と言ってくれ、お母さんは、その一人一人に頭を下げた。
栄恵ちゃんは、なにを勘違いしたんだろう、小さな花束をくれた。オレンジ色のハイビスカスが真ん中にドーンと鎮座。いささかバランスを欠いていたが。由香がささやいた。
「オレンジ色のハイビスカスの花言葉は『信頼』やさかいにね」
思わず涙目になってしまった。
先生や仲間達が校門を出るまで見送ってくれる。
お母さんは、校門を出るまで何度も振り返っては頭を下げていた。
それから、黒門市場の由香の家に向かう。
この事件を知ってから、お母さんは寡黙だった。事件の大きな原因が自分だって思っている。
そんなことはない、事件を起こしたのはわたしだ。わたしの洞察力のないタクラミとコラエ性の無さ。いわば、未熟で、欺瞞的でさえあったわたしのホンワカ。
でも、それを口にすると母子で傷つけ合ってしまう。
だから、わたしも必要以上にはしゃべらない。
「いやあ、これは事故ですよってに。うちの由香も、ちゃんと状況つかんでたら、あんなアホな身ぃの出し方はせんかったでっしゃろ。まあ、エエカッコシイの結果や思てます。はるかちゃんも、これに懲りんと、ええ友だちでいといたってくださいな」
魚をさばく手を休めて、由香のお母さんは言った。
その奥で、お父さんが、魚を生け簀に移しながら、微笑んでいた。
お辞儀をして、黒門市場の雑踏の中に紛れると、急にお魚を焼くいい匂い。
母子のお腹が同時に鳴った。今朝は、申し渡しが早かったことや、緊張やらで、二人とも、朝食をとっていなかった。市場の喫茶店に入ってモーニングセットをかっこんだ。
コトハの? ことちゃんの? 酒井さんの? コトの? 酒井の? コトコトのぉ? 酒井詩の? 酒井先輩の?
校門をくぐって音楽室に入って、隅っこのパイプ椅子に落ち着くまで何べん聞かれたことか。
程度の差はあるけども、詩(ことは)ちゃんはけっこうな好感度や。
わたしは、まだ十三歳の女子中学生やけど、ひとが特定の人物の名前を言うたり呼んだりしたら、どう受け止められてるかは、しっかり分かる。
詩ちゃんは、二年生の平部員やけど、真理愛(マリア)女学院高校吹奏楽部のホープや!
今日は、詩ちゃんの部活にお邪魔してる。
ちょっと説明。
こう見えても、夏休みの宿題はさっさと片付ける。どうかすると七月中にやり終わってしもたりする。
べつに優等生を気取ってるわけやない。
七年真にお父さんが疾走してからの習慣。
子供心にも(いまでも中坊の子供やねんけど)お父さんが見つかったら、すごい騒ぎになることは分かってた。ひょっとしたら、テレビなんかに取り上げられて、お母さんもわたしも、しばらくは日常生活なんか吹っ飛んでしまうんちゃうやろかという気持ちにあふれてた。
それが、もし夏休み中やったりしたら、宿題なんか手に付かへん。
せやさかい、宿題はさっさと片付けた。近所や目上の親類からは「さくらちゃんはえらいなあ!」「そんなけ勉強してたら、お父さん帰ってきたら目ぇまわさはるでえ」と褒められた。
七年たって、失踪宣告されて、法的にお父さんは死んだことになった。わたしも、お母さんの名字になって堺の街に引っ越してきた。もう、宿題を早く仕上げる意味はない。ないんやけども、習慣で早くやってしまう。
その宿題に『身近な人を観察して作文を書く』というのがあるんや。
家がお寺やから、坊主の話を書いたらええねんけど、お寺のことは、ちょっと食傷ぎみ。そんな、わたしのことに気ぃついて、さり気に「じゃ、うちの学校に来る?」という詩ちゃんのお誘い。
大和川を超えて真理愛女学院にお邪魔してるわけです。
しびれたあ!
足とちゃいます、心がね。
一学期の定期演奏会もしびれたけど、音楽室に五十人余りの部員が生演奏!
わたしでも知ってる曲がバンバン繰り広げられる。詩ちゃんはサックスのパートリーダー、スタンドプレーのときなんかは、もう涙が止まらんくらい感激してしもた。
「さすが、コトコトの従妹だ、いい感性してるねえ!」
十八番(おはこ)の『LOVE』の指揮を終えたとき、部長で指揮者の涼宮さんが褒めてくれる。それは嬉しいねんけども、五十人の部員さんが、いっせいにわたしに視線を向けて拍手してくれはるのには困った。人生で、こんなに照れたんは初めてや。
「さあ、それでは、新部長の選出と引継ぎをやりたいと思います」
新部長の選出!? なんや、えらい日に来てしもた。
「恒例により、現部長のわたし涼宮はるか(なんや、有名なキャラに似た名前)が指名し、意義が無ければ引継ぎを行います」
異議なしを表明する拍手が起こる。
「新部長には、酒井詩を指名します」
いっそうの拍手が音楽室に響き渡る。
「酒井新部長、あいさつ」
指名された詩ちゃんは、深呼吸して答えた。
「涼宮部長のご指名を受けて、吹奏楽部第五十三代の部長を拝命いたします」
さらに拍手! 詩ちゃんのほっぺたがま赤っかになる。こんな詩ちゃんを見たのは初めてや。めっちゃ緊張してる!
そうか、詩ちゃんは、これを見せたかったんや。
覚悟を決めるためか、おちゃらけたわたしで空気を和ませて、ちょっとでも気楽にしよと思たんか、はたまた、それでも緊張して泣きそうになる自分をありのまま見せようとしてか……そのどれかは分からへんけども、わたしもいっしょになってメッチャ拍手をした。
そのあと、マネージャーと副部長の指名もあって、引継ぎのパーティーになった。
部長の引継ぎが、真理愛女学院吹奏楽部には夏一番のイベントになってるのかも。
詩ちゃんの一大イベントに立ち会えてラッキーでした。
月にほえる千年少女かぐや(改訂版)・9
大橋むつお
時 ある日ある時
所 あるところ
人物 赤ずきん マッチ売りの少女 かぐや姫
かぐや: さ、またお茶の続きをしましょうか(三人、家の中へもどる)赤ちゃんさん、おばあさんお元気?
赤ずきん: うん、元気。あたしが世話をしてるからね。このごろはオオカミも手伝ってくれるし、ばあちゃんもオオカミさんに字の読み書きとか教えていて、今はとってもいい関係だぞ。
かぐや: そうね、誰かの役にたっていると思えることは大切なことね。
マッチ: かぐやさんは、どうして学校へ来ないの?
かぐや: さあ……
赤ずきん: 学校にいじめっ子とか?
かぐや: いいえ……
赤ずきん: 勉強いやとか、つらいとか?
かぐや: さあ……
赤ずきん: 勉強ってつまんないもんだからね。勉強ってもともとは「嫌なのに、無理に努力する」って意味。知ってた?
かぐや: はい、強いて勉めると読みますものね。
マッチ: 赤ちゃん、よく知ってたわね!
赤ずきん: B組の孫悟空が、補習で残された時に、そう言ってボヤいていた。
かぐや: 勉強にかぎらず、人生ってそういう強いて勉めることですものね。それは厭いません。そうではなくて……
赤ずきん: そうではなくて……?
かぐや: さて……わたし、うまく言えなくて。
赤ずきん: ……うまく言えなくてもいいからさ。ちょっとしたことで嫌だなってこととか、変だなってこととか……
かぐや: そうね……学校のかまえ……
赤ずきん: かまえ?
かぐや: ええ、英語でファサードってもうしますの、正面入口のたたずまい。ピロッティーの吹き抜け……開放感というより、ガランドーな感じで……その上にスローガン書いてございますでしょ「みんなかがやけ!!」 みんなかがやいたら……まぶしくってしかたないでしょ……ほほほ。それに「かがやけ!!」というわりに汚れてくすんでますでしょ……その脇には運動部のなんとか大会出場の懸垂幕……
赤ずきん: ああ、あの大売り出しみたいな。
かぐや: ほほほ、昔の源氏や平家のノボリなんかシンプルでよろしゅうございましたよ。赤とか白とか一色……ただそれだけで……でも、あの懸垂幕は、それはそれで無邪気でよいのです……
赤ずきん: それじゃ……
かぐや: 授業中、みなさんが無意識でなさる……指先でシャープペンシルなどをクルクルおまわしになる……
マッチ: ああ、あれわたしも!
かぐや: 最初は、すごい芸だと思ったんですけど……
赤ずきん: ほかに?
かぐや: そうね……携帯の着メロ……らぬきのお言葉……語尾をあげる疑問形、体言止めの言い方……枯れ木のようなお茶髪……ずり落ちたおズボン……子供にはダメと言いながら、平気で街角に立っているお酒やおタバコの自販機……先生が首からぶらさげてらっしゃるわけのわからないカード……どこでもチョキの平家蟹の呪いみたいなニコニコ写真……ほほほ、きりがございませんわねえ。
マッチ: どこでもチョキ?
かぐや: ほら、こういうの……いつもじゃんけんで赤ちゃんさんが二番目にお出しになる。
マッチ: それってピースサインっていうんだよ……って、わかった。いつもわたしがじゃんけんで負けるの!
赤ずきん: いつもパー出すマッチがぬけてんだよ。
マッチ: ぐやじい~!
赤ずきん: ははは……
マッチ: 自分こそプリクラとかでピースサインがくせになってんじゃないよ!
赤ずきん: あたし、ピースサインなんてしないぞ。こうやって、胸の前で手を組んでニコってすんだよ。
マッチ: それって、すっごくブリッコだ。
赤ずきん: なんだよ!?
マッチ: 中味とぜんぜんちがう。不当表示だよお! 消費者センターに言っちゃうからね。
赤ずきん: なんだとお!?
マッチ: なによ!
赤ずきん: やろうってのか!?
マッチ: やるときゃ、やるわよ! いつも負けてばっかじゃないんだかんね!
かぐや: おほほ……
赤ずきん: いくぞ!
マッチ: こっちこそ!
ふたり: さいしょはグー、じゃんけんポン。
マッチ: うう、三回しょうぶ!
赤ずきん: おうよ!
ふたり: じゃんけんポン! じゃんけんポン!
赤ずきん: あはは……
マッチ: おっかしいなあ、どうして負けるかなあ?
赤ずきん: あいかわらずパーしか出さないからだよ。
マッチ: え、じゃんけんポン……ほんとだ?
かぐや: おほほ……おふたりはいいコンビね。
赤ずきん: え?
マッチ: そっかなあ?
かぐや: とてもファンタジーでいらしてよ。(三人のどかに笑う)
高安女子高生物語・38
〈有馬離婚旅行随伴記・3〉
「キャー!」と叫ぶ明菜の口を塞いだ。
覗き見男と思われたのは、よく見ると、芝垣の向こうの木の枝に引っかかった男物のジャケットだった。
「危うく、ドッキリになるとこやったなあ」
「……あの上着……?」
明菜は、まったく無防備な姿で湯船をあがると芝垣に向かって歩き出した。同性のうちが見てもほれぼれするような後ろ姿で、お尻をプルンプルンさせながら。
「上の階から落ちてきたんやろなあ……」
「あ、あれ、お父さんのジャケットや!」
見上げると、明菜のお父さん夫婦の部屋の窓が開いてた。
「なんかあったんちゃうか!?」
「ちょっと、あたし見てくる!」
「ちょっと待ち、うちも行くさかいに!」
うちらは大急ぎで、旅館の浴衣に丹前ひっかけ、ろくに頭も乾かさんと部屋を飛び出した。
正確には、飛び出しかけて、手許の着替えの中に二枚パンツが入ってるのに気づいた。なんと、うちはパンツ穿くのも忘れてた。
「ちょ、ちょっと待って」
明菜は聞こえてないんか無視したんか、先に行ってしもた。
「くそ!」
慌てて穿くと、こんどは後ろ前。脱いで穿き直して、チョイチョイと身繕いすると一分近う遅れてしもた。
「どないしたん、明菜?」
明菜は、呆然と部屋の中を見てた。
続き部屋の向こうの座敷から、男の足が覗いて血が流れてる。
そして、明菜の手には血が滴ったナイフが握られてた……。
「なんや……今度も、えらい手ぇこんでるなあ」
「うん、あれ、多分お父さん。今度のドッキリはスペシャルやなあ……この血糊もよう出来てる。臭いまで血の臭いが……」
「……これ、ほんまもんの血いやで!」
明菜は、ちょっとだけいやな顔をしたが、ナイフは持ったまま。
「まあ、鳥の血かなんかだろうけど……お父さん」
そう言いながら、二人は部屋の中に入っていった。
「エキストラの人やろか?」
血まみれで転がってたのは見知らぬ男やった。
「キャー!」
振り返ると、仲居さんが、お茶の盆をひっくりかえして腰を抜かしていた。
「あ、あの、これは……」
「ひ、人殺し!」
なんだか二時間ドラマの冒頭のシーンのようになってきた。
そして、これは、ドッキリでは無かった。
数分後には、旅館の人たちや明菜のご両親、そして警察がやってきた。
ほんでからに、明菜が緊急逮捕されてしもた……!
手ぇにはべっとり血が付いて、明菜の指紋がベタベタ付いたナイフが落ちてるんやから、しょうがない……。
「え、うちも!?」
うちも重要参考人ちゅうことで、有馬南警察に引っ張られていくハメになった!
里奈の物語・37
『美姫といっしょに』
「「…………………………………………ゴックン」」
同時に生唾を飲み込んだ。
ヒロインの綾香は、援交なんかで気持ちよくなってたまるか! 援交をやっているのは、あくまでも友だちのためなんだ!……と決めていた。
でも、お金をもらってやっている限り——お客の男には満足してもらわなきゃならない——という気持ちになる。綾香は真面目なのだ。
だから気持ちよさそうなフリをしていた。じっさい最初の三回は苦痛でしかなかった。お客は、綾香がビギナーなので、その苦痛に感じている表情や姿を見て楽しんでいた。回数をこなすと苦痛な反応ではすまなくなる。お客は自分も綾香も同時に気持ちよくなることで満足する。だから綾香はフリを続けた。
それが七回目、お客に引きずられるようにして絶頂に達してしまった。
その背徳的な快感をダイレクトに感じたので、あたしと美姫はいっしょゴックンしてしまったんだ。
「すごいね……こんなんあるんや……」
美姫の「こんなん」には三つの意味がある。
エロゲの存在そのものに感心したことと、ヒロイン綾香の背徳的な快感、そして凄い(としか言いようがない)性的な描写。
「あたしも拓馬も、エロゲって……春画と同じだと思うの」
コーラのプルトップを開けながらフラグを立てた。エロゲを観た後は、断然コーラがいい。
「コーラの溢れ方って……綾香の絶頂に似てるなあ」
「ハハ、今度はカルピスソーダにしようか!?」
「もう、里奈もすごいこと言うなあ!」
エロゲを観て、いっしょにゴックンしたことで、いっそうの友情を感じる……て、変かな?
「で、春画て何?」
コーラを一気飲みして、美姫が聞く。こういうチグハグも楽しい。
「えと……百聞は一見に如かずだね……ほら、こういうの」
パンフレットをバサリと広げる。
「えー、なにこれ!?」
「どーよ」
あたしが開いたところには北斎の有名な春画が載っていた。
「タコとオネーサンが絡んでる……」
「江戸時代のアダルトだけど、浮世絵の主流って春画だったんだよ。北斎も歌麿も、春画が仕事の大半だったんだ」
「へー……なんや、男も女もアソコが巨大……それに、身体がありえへん方向に曲がって……女の人のアソコて、こんなふうには見えへんのんとちゃうかなあ?」
美姫の視線を感じる。
「ちょっと、あたしのマタグラ見つめないでよ」
「あ、ごめん。いっかいいっしょにお風呂入って研究しよか?」
コーラにむせそうになった。
「春画はね、一枚の絵に読者が観たいものをてんこ盛りにするから、シュールになるのよ。ま、ピカソなんかと同じ」
「そうか、江戸時代に3Dは無いもんな」
「エロゲもそうだよ。いまの主流は2Dだもんね……だから、ほら……」
パソコンに取り込んでおいた名場面集を開く。
「……なるほど、そこだけ取りだしたらアクロバットみたいやなあ」
「そう、それがゲームの流れの中で観たら、とっても自然に見える。見えないのは駄作!」
「う~ん……エロゲ初めて見たから、そこまで分からへん」
「数観ればね、あたしも最近始めたから、拓馬なら分かると思う。ま、このエロゲの中から春画みたく評価されるものが出てくるんじゃないかな」
「けど、エロゲいう名前はなんとかなれへんねやろか?」
言われてみて、そうだと思った。エロゲというのは、なんとも淫靡で低俗な響きだ。
「そうだね……そうだ、二人でこんなに盛り上がるんだから、善は急げ、拓馬に連絡とろう!」
その五分後、大晦日に三人で忘年会をやることが急きょ決まった。
須之内写真館・10
【ドイツのカメラ・1】
「ごめんくださいまし……」
慎ましやかな声は、店の奥に居てもはっきり聞こえた。
だが、動き出したのは、お祖父ちゃんの玄蔵だった。
お茶を出しにスタジオに出ると、八千草薫にどことなく似た品の良い老婦人が、祖父と向き合っていた。
「おかげでさまで、母も……こんにちは、お孫さんでいらっしゃいますか?」
「はい、孫の直子です」
「やっぱり、写真のお仕事をなさってらっしゃいますの」
直子が頭を下げて言いかけると、お祖父ちゃんに先を越された。
「まあ、なんとか使い走りに使える程度です」
直子は、内心ムッとしたが、普段のように文句を言ったり、生意気を言う雰囲気ではなかった。
「孫の直子です。いらっしゃいませ」
「目の輝きが似てらっしゃるわ。あ、お約束ですので、お返しにあがりました……」
老婦人は、きれいに表装された写真帳を出した。
「拝見いたします」
祖父ちゃんは、拝むようにして写真帳を開いた。
「役目を果たせたようで……安堵いたしました。恭子さんはよろしいのですか」
「ええ、わたくしは……とても母のようにはやってはいけません。馬齢を重ねるだけですので、どうぞ他の方に」
柔らかいが、凛とした気持ちの伝わる声だった。
そして、恭子という老婦人は過不足のない世間話をして、十分ちょっとで店を出て行った。
「この人は、あの恭子さん……?」
茶器を片づけに出て、直子は写真帳を手に取った。
「いや、それは恭子さんのお母さんの英子さんだ。先週百五歳で逝かれた……」
「百五歳!」
「ああ、親父が魔法のカメラで寿命を延ばしてさしあげたんだ」
「魔法のカメラ?」
「ああ、直子も見とくといい……」
祖父ちゃんは、キャビネットの中から黒いカメラケースに収まったそれを出した。
「……これ、戦前のライカじゃないの!?」
「ああ、このカメラ一つで、小さな家なら建ったぐらいのしろものだ」
「ひい祖父ちゃんが、これで?」
「伝説のカメラさ。引き伸ばしによく耐えるカメラでな……こいつは人の命も引き延ばすんだ」
「アハハ、珍しいね、祖父ちゃんがオヤジギャグとばすなんて」
直子が、茶器を台所で洗っていると、何かが燃える臭いがした。
「祖父ちゃん、なに焼いてるの?」
祖父ちゃんは、狭い庭に一斗缶を出し、その中で、枯れ葉といっしょに写真帳を燃やしていた。
「焼いちゃうの、よく撮れた写真なのに……」
「役目を果たしたからな。こうしないと、同じ目的で写真は撮れないからな……」
一斗缶で、それを焼いている祖父ちゃんの姿は、寂寞と実りの両方を感じさせる風景で、直子は二十枚ほど祖父ちゃんの姿を写真に撮った。
その夜のニュースに、直子は驚いた。
戦後日本経済の牽引力になって、今でも産業界で動かぬ存在感を持っている『南部産業』の会長夫人であった南部英子の訃報を伝えていたのだ。
――享年百五歳。戦後の混乱期から高度経済社会、そしてバブル時代でも手堅い経営で傘下の各社の手綱をとり、現在の日本経済の安定に寄与した功績は……――
「朝鮮戦争のあとの不況で、ご主人が亡くなってな。英子さんは女手一つで家と会社、企業グループを支えてこられたんだ……ところが、ご主人を亡くされた後、英子さん自身がガンになってしまわれてな。どこの医者からも見放され、当時写真屋の伝説になっていたオヤジのライカで写真を撮ったんだ……」
「え……それで治っちゃったの?」
「オヤジは、戦前修業先のドイツで、このカメラと出会ってな……いや、直子にはおとぎ話だろうがな」
その後、祖父ちゃんは、その話はしなかった。直子もどこか、かつがれたような気で居た。
引き伸ばしに強いカメラ……命が引き延ばせる。
まさかね。
直子は小さく笑うだけだった。
はるか 真田山学院高校演劇部物語・78
『第八章 はるかの決意1』
停学は三日になった。
値切ったんじゃない。
乙女先生と竹内先生が、話をつけてくれた。
吉川先輩と、由香も「これは事故です」と終始一貫して言ってくれた。
「一方的暴力です」
わたしは切腹の覚悟だった。
例の細川先生などは、「停学二週間!」と言って譲らなかった。
決め手は、先輩と由香の事故主張(今だから言えるダジャレです)そして、現場を目撃していた東亜美と、住野綾の証言。
亜美と綾はクラスで最後まで残っていたシカトコンビだったが、この時はなぜか進んでわたしに有利な証言をしてくれた。
「調書の結果」はこうなった。
わたしが手を上げた時には、先輩はすでに十分手の届かないところまで身体をかわしていた。その間に由香が飛び込んできて御難にあった。
つまり、わたしが手を上げたのは吉川先輩に対してであり、これについての「犯行」は未遂に終わっている。由香が飛び込んできたのは事故である。だから、停学などの処分にはなじまない。
しかし、衝動的とはいえ、わたしには「犯意」があったので、激論の末三日ということになった。
この時、亜美と綾が有利な証言をしてくれたのは、わたし以上に細川先生が嫌いだったからである。しかし、このことがきっかけで二人とも仲良くなれた。
人生とは不可解なものである。
それから、この三日には先生達の知らない条件がついていた。
「コンクールが終わったら、NOZOMIプロの白羽さんに会うこと……ええね」
言葉遣いで分かるようにこれは、由香がホッペを腫らして、ニッコリとわたしの耳元でささやいた条件である。
「北斗機関出力120、発進準備完了」「発進準備完了」
機関士のユリが発声し、機関助手のノンコが復唱する。
『北斗発進!』
来栖司令の声がモニターから発せられる、ガクンと身震いして北斗が動き始めた。
師団機動車北斗(大塚台公園に静態保存されているC58)は、始動と同時に降下し、空蝉橋のカタパルトへの軌道に向かう。
十メートルほど降下して発進すると、大塚台公園の地下をSの字に助走したあと、空蝉橋通りの地下を直進。
空蝉橋北詰の街路樹に似せた加速機でブーストをかけられ、時空転移カタパルトから射出される。
ポオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!
「ブースト完了、第二戦速で九州を目指します。ブースト閉鎖、赤黒なし」
「ブースト弁閉鎖、赤黒なし、機関オートに切り替え」
「上空にエニミーの痕跡を認めず」
「警戒レベル3、前方にシールドを張りつつ対空警戒」
「フロントシールド展開、対空スコープ異常なし」
前回は、ここで回頭して九州を目指した。今回は進路はそのまま、直進すれば関東平野を北上し、東北地方を縦断して日本海に出るだろう。
「敵は、大和堆の上空に占位している」
振り返ると、キャブに阿倍先生がいる。
「訓練を兼ねているんですか?」
「任務よ。本日付で機動車北斗の車長兼北斗隊の隊長を命ぜられた。よろしく頼むわ。祝賀会は順延よ」
ちょっと心配だが、顔には出さない。ん……ブリンダは?
「前方一時の方向、アリゲーターの反応(ブリンダのことか?)、後方に駆逐艦、水雷艇8、突っ込んでくる」
砲雷手の清美が落ち着いた声で言う。調理研の三人も訓練が進んでいるんだろう、機器の操作も状況報告も堂にいってる。
「マヂカも出撃して。ブリンダと共同して北斗量子パルス砲の射線に敵を誘導して」
「了解」
清美が床のハッチを示した。ハッチの下に亀オブジェの戦闘艇があるのだろう。
マヂカ発進!
亜音速で秋田上空を目指す。
前方の密雲の向こうにブリンダの反応、同時に思念が飛び込んでくる。
——三、二、一、テーー!——
カウントし終わると二人同時にパルス弾を発射!
同時に左右に散開、 二人のパルス弾は空中衝突し、直径百メートルほどの火球になり、その高エネルギーの火球に駆逐艦と水雷艇が突っ込んだ。
最後尾の水雷艇一隻が、辛うじて転舵が間に合ったが、先頭の三隻は粉々に砕け散った。
ほんのわずかでもタイミングと軸線がずれていれば、わたしかブリンダのいずれか、あるいは両方がパルス弾を食らっていただろう。三つカウントするという思念だけで、敵の大半を撃滅できたのだ。連携は合格点だ!
小癪なああああああ!
火球の残滓を裂ぱくの闘志が衝いてきた。
「あれは!?」
「あれが主敵だ!」
それはアレクサンドル三世だ、アレクサンドル三世と憑依融合した霊魔だ、裂ぱくの魔法少女の姿だ!
キングコングほどの魔法少女の体には二本の黄色い煙突、手には三十サンチの主砲、肘や肩に何門もの副砲と魚雷発射管を装備。前回のイズムルードよりもずっと憑依体として完成している。
「引き付けよう!」
私の判断に、ブリンダは行動で応えた。
アレクサンドル三世の鼻先を目指して接近離脱を繰り返す。二度目は背中、三度目は尻、四度目は胸先を掠める。
照準している暇はないが、秘中の思いを籠めてパルス弾を連射!
ドドーーン! ドドーーン! ズドドドーーン!!
三割ほどが命中するが、さすがバルチック艦隊の主力艦、表情も変えずに射撃してくる。
命中こそしないが、至近弾であちこちに傷ができる。
目の前に赤い線が走ったかと思ったら、頬の切り傷から迸った自分の血だ。まずい目に入ったら見えなくなる!
一瞬、次の行動に迷いが出る。
ズゴーーーーン!
すごい衝撃に体がねじ切れるのではないかと思うほど振り回される。
亀の首にかじりついて、ようやく体勢を立て直すと、アレクサンドル三世のどてっぱらに大きな穴が開いた。
このマカーキ(猿)どもおおおおおお!
猿を意味するロシア語で罵りながら両手足をいっぱいに広げるアレクサンドル三世!
全砲門を主敵、私とブリンダの背後の北斗に指向させる。プラチナブロンドのロン毛が逆立った姿は戦の女神ヴェローナを彷彿とさせる。美しさと恐ろしさと猛々しさが魔法少女の指標であるとしたら、こいつは完成形だ。
感心している暇はない。企まずして、パルス弾を彼女の被弾孔に指向させる。
テーーーーーーーーー!!!
敵とこちらの吶喊が重なる!
ズゴゴゴゴゴーーーーーーーーン!!
射撃が一瞬遅れた…………積載武器や装備をまき散らしてアレクサンドル三世が四散して戦いは終わった。
大塚台公園秘密基地完成の祝賀会……どうする?
『いまからやるぞ!』
司令の元気な声がレシーバーに轟いた。
月にほえる千年少女かぐや(改訂版)・8
大橋むつお
時 ある日ある時
所 あるところ
人物 赤ずきん マッチ売りの少女 かぐや姫
「エッヘン」とうさぎの声聞こえる
赤ずきん: ほんとだ「エッヘン」て言った。
マッチ: ……で、どなたなんですか、かぐやさん?
かぐや: あの方はイナバの白うさぎさんです。近所の白兎海岸から遊びにくるの。人間の女の子のかっこうをなさってる時もあるわ。
マッチ: イナバの白うさぎって、女の子だったんだ!?
赤ずきん: セーラームーン(^▽^)/!?
マッチ : 古いんじゃ! で、イナバの白うさぎって?(ふたり、ずっこける)
赤ずきん: なんだ知らねえのかよ?
マッチ: 赤ちゃんは知ってんの?
赤ずきん: アキバの地下アイドかなんかじゃないの(^▽^)?
かぐや: ううん。沖の島からね、サメさんたちをだまして並ばせてね、その背中をピョンピョン渡ってイナバ、って、鳥取県の東のほうにきたうさぎさん。
マッチ: 好奇心つよいのね。
かぐや: で、だまされたったってわかったサメさんたちに身ぐるみはがされちゃって。
赤ずきん: やられちゃったの!?
マッチ: ……集団暴行!?
かぐや: そういう表現はヤラシイ想像をさせてしまうわ。ほらあの方なんて、身をのりだしていらっしゃいますわ。
マッチ: 赤ちゃんの目もヤラシイ~。
赤ずきん: マッチの四文字熟語だって三流新聞の見出しみたいだろうが!
かぐや: シバキたおされておしまいになっただけ。ジェンダーフリーのおしおき。そこになんともいえないくやしさを感じて泣いてらっしゃったの。由緒正しいうさぎさんだから。
マッチ: あ、サンタクロース!
かぐや: いいえ、あの方はオオクニヌシノミコトさま。
マッチ: オオクニヌシ?
かぐや: そのとき、うさぎさんをおたすけになったえらい神さま。
マッチ: へえ……
赤ずきん: そうなんだ……
かぐや: こんにちは! お仕事帰りですか?(何やら、声にならぬ声がする)あ、研修中ですか。こちらが赤ずきんちゃんさんと、マッチ売りの少女さん。(二人、ペコリと頭を下げる) 今日は……? ああ、松江の水郷祭に花火をご覧に。よろしゅうございますわねえ。わたしも行きたいなあ……小泉さんによろしくね。
赤ずきん: 元総理大臣の息子?
かぐや: ううん、小泉八雲さん。耳なし芳一とかお書きになった。ラフカディオ・ハーンともおっしゃるの。
赤ずきん: ああ……
マッチ: でも、どうしてサンタさんみたいなの?
かぐや: むかしは羽振りがよかったんだけどね、ここんとこ、ずっとリストラされてらっしゃるの。自前の袋をお持ちなので、今度サンタクロースのアルバイトをなさるのよ。
マッチ: アルバイト!?
赤ずきん: そういや。星の王子さまなんかも、近ごろ宅配便のアルバイトしてるらしい ね。ほら、あの流れ星(キンキラキーンと星の流れる音)……あれ、星の王子さまだ。
マッチ: みんな生活苦しいのかな……
かぐや: 星の王子さまは、著作権がきれたんで趣味でやってらしゃるの。でもオオクニヌシさんはやっと教科書にのりはじめたばかりだから。あなたは?
マッチ: わたし?
かぐや: マッチ売り。
赤ずきん: そうだよ。必要ないバイトならよした方がいいよ。友だちと約束して遅刻することもないだろ。
マッチ: でも、マッチ売りをしていないマッチ売りの少女なんて……ただの漢字二文字の「少女」になってしまう。
かぐや: ほほほ……
マッチ: ね、そうでしょ。