続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

記憶力の低下。

2011-09-05 06:33:39 | 日常
 記憶力の低下どころか、まるで憶えられない。
 今に始まったことでないと思えば納得できるけど、それにしても《あの、あれ、それ・・・》代名詞で済ますことが多い。
 ブログに書こうとする場合などは、その何たるかを思い出せないで止めることもある。

 地名、人名、とにかく名前のようなものが特に出てこない。
 学校に通っていた頃、暗記は不得意というより努力を怠っていた。その鍛錬の欠如が今頃おびただしい欠陥となってわたしを脅かしているのかもしれない。

(まぁいいわ)心の中で自分だけの問題、誰に危害を加えるでもなし・・・。(誰かに笑われているということは、大いにありうる)

 老化・・・運動能力はますます鈍くなり歩けるだけが最大の目標という昨今、歩くことだけは死守したいと切望するようになった。他のことはどうでもいい・・・どんなことがあっても、死ぬまで自分の足で歩きたい。
 明後日の「歩こう会」JR横須賀駅からJR衣笠駅まで、昇り坂とはいえ平坦な道程のはず・・・頑張らなくちゃ。

 記憶力低下・・・嫌な過去は忘れるって最高じゃあない!アッハハハ。

『城』588。

2011-09-05 06:19:30 | カフカ覚書
外の雪のなかへ出ると、Kは、すこしばかりほっとして息をついた。

 外/Draussen→dresche/殴打。
 雪/Schnee→Schnee/精神。
 すこしばかり/ein wenig→Ahn wenk/先祖、合図。
 息をつく/atmete・・・発散する。

☆殴打された精神は先祖の合図を放っていた。

健太来訪。

2011-09-05 06:01:29 | 日常
 今日も来れないのかと思っていた夕刻、「おい、来たみたいだぞ」と夫。
「みたいって・・・何?」

 ああ、黙っていたけど、夫も息子の来訪を心待ちしていて(車の音を聞き分けたんだ)と思った。家の前の道路はいわゆる抜け道、案外車の往来があってわたしなんかには分からない。


「どう元気にしていた?」
「あの日はどうだったの?」矢継ぎ早にいろいろ聞いてみる。

「あの日はさ、東京にいて、新橋から品川までバスに乗ったんだけど歩いたほうが早いくらいだったよ。それから、新幹線で新横浜まで行って市営地下鉄でたどり着いたってわけ・・・」
「そうなんだ・・・。(でも無事でよかった)」

 少し姿勢が悪い(昔からそうだったかもしれない)言おうか言うまいか・・・
「おまえ身体は締まっているけど少し姿勢が悪いよ」やっぱり思ったことは口にしてしまう。
「(男でもね)いつまでもきれいなお兄さんでいなくちゃいけないよ」とやっぱり説教。

「夕飯食べていく?」
「ううん、いらない」
 寂しい返事。一刻でも長く居てもらいたいのに・・・。

 甘えることのない息子、いつもいつでも心配しているんだから・・・身体に気をつけて、しっかり食事を摂って・・・働きすぎないように・・・。