長年使い続けている手はいまだ健在である。でも靴下をはこうとして、足の白さに比べ手の甲のあまりにも日に焼け皺も増え、血管の浮いた手に驚愕・落胆。
忙しさに紛れ手入れとは無縁だった手の甲、今では出した手を引っ込めたいほどの劣化。
けれど、見た目でははかり知れないほどの恩恵に気づく。
「ありがとう、わが手よ」
「これからもよろしく!」
あっち(冥府)とこっち(現世)を結ぶ時空はあるだろうか。物理界では無理なことも精神界では許可され、自由である。
しかし、それを目に見えるように具象化することは困難である。不明なものと明確なものを結ぶツール・・・不明(たとえば冥府)は《闇/彩色のない世界=暗黒と呼ぶしかないような…》で推し量るしか術はないが、明確(現世)は、イメージ化できるツールを選択することが可能である。
疑似空間を収めるツールとしての《フレーム》、窓といった空間を区切るが外を覗き見ることの可能な媒体としての《フレーム》を、必須アイテムとして中央に立たせている。この作意は重力を否定しているが浮いているのでもなく、現実と非現実の要素を併せ持った条件になっている。
A(現実)からB(非現実)への介入口としてのフレームは現実の光による影を落としているが背景は暗黒であり影は溶解している、あるいは届かないほどの遠方/断絶をも意味している。
傍らの赤い壁面に寄り掛けられた猟銃は重力下にあり現実の虹彩を放っている。即ち現世での《死》を暗示させ、その長い銃身は、ひどく遠い距離に狙いを定めるためのもののようである。
切ないまでに緊迫した、絶望とも希望ともつかない空気の密度は、日常の煩雑さを受け付けない。マグリットのマグリットのための内密の『風景の魅惑』である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
ここはよつぽど高いから
柳沢つづきの一帯だ
やっぱり好摩にあたるのだ
どうしたのだこの鳥の声は
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の小学校にきたやうだ
☆考えを留め、択(良し悪しを見てより出す)。
逸(隠れている)他意の講(話)は魔(人を惑わし害を与える人)の懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)。
証(ありのままに、事実を裏付け)懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)。
重ねた章(文章)を合わせた講(話)である。
それで、あの子がなんといっても熱心であったし、あの子の能力でできるかぎりのことをしてくれたというので、二十四時間の猶予をあたえてやることになったのです」
☆すべて(死)を受け入れるような能力を許可し、強制的な死を与えたのです。