『軽業師の休息』
室内のようである。窓外(あるいは壁面)は、空というより海を暗示している気がする。
石垣(本来屋外にあるべきもの)は平面状に切り取られており、床面・壁面に影を落としている。つまり安定しているように見えるが倒壊をも孕んだ危うい状況である。しかしイメージとしてはそれを予測させていない。
最も奇異なことはその石垣に切れ切れになった人体がリアルにあるいは伸縮によって定かならぬものに変形されている。そして切れ切れではあるが不条理な形で連鎖していることも見逃せない。
一つに連鎖しているが、女体(胸・腹・陰部)であるが、顔は男女の判別に不可解が残る。がっしりした肩は男性的だと推測される。部分を追えば、足(脛から下)がない。人体を想起できない部分の不可思議には決定的な根拠を特定できない。
これらの条件をもって『軽業師の休息』と名付けている。休息、すなわち活動の休止、ゆっくり体を休めることを言う。
石(岩)の中に固定された状態が休息なのだろうか。
軽業師、すなわち常人には不可能な身軽な動きで観客を驚愕させる者である。
硬質の石(無機質)の壁面に軟質の肉体(有機質)をはめ込むという不条理は物理的には考えられず、夢想としての心象風景に違いない。
はめ込まれているのは軽業師だろうか、軽業師の客観的な見解からの景色なのだろうか。
あり得ない様なコーディネイトを瞬時垣間見せる技術者である軽業師の思考・肉体を、混沌のまま自分の身体から切り離し具象化した景ではないか。(軽業師、わたくしは軽業師のようなものだという自嘲が聞える)
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
☆迂(世の実情に疎い)幽(死者の世界)は虚(むなしい)。
嘘を重ねることが枢(要)である。
冥(死後の世界)は迷(判断が付きかね)瞑(暗くて見えない)
なにもかも抜け目なく手を打ったものだね。たd、きみは、一度ぼくのために酒場から出ていった人間だよ。だのに、もうすぐ結婚式をあげようというときになって、ここへまた舞いもどるのかい」
☆すべて一度にうまくいった。と、Kは言った。先祖の傷痕をわたしのために酒場(死の入口付近)から離し、元へ戻したのかい」