バラバラでいて、繋がる。しかしその実態はバラバラである。バラバラどころか実写のパーツをつなぐ不定形なものは肉体と同色であるだけなのに、肉体の一部と了解してしまう。
類似点や共通項は不明のまま分類され、何らかの領域に一括りにされる傾向がある。
観念とは集積されたデーターの中でより近いものに結びつき納得する想念であって、必ずしも総合的(決定的)な根拠の確認を必要としない。
軽業師の技も然り、確かに身体運動の熟練を要するが、身体に物理的な変化があるわけではなく、五体はあるがままに戻る。
マグリットにおいては、確かに技術の技を要するが、物理的な変化を見せるのは精神/心象の世界であり、わたくしは(マグリット)はわたくし自身である。
しかし、自身に戻れない観念(不変の石)の中で、身体も千切れるほどに苦悶し追想を繰り返すこのひと時こそが『わたくし(軽業師)の休息』であり、わたくし(マグリット)の安らぎであることは秘密の時空の話である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
けれども偶然だからしかたない
荷馬車がたしか三台とまつてゐる
☆寓(かこつけて)繕(つくろう)、化(形、性質を変えて別の物になる)の場(空間)は、太陽が題(テーマ)である。
だれかにそそのかされたか、なにかしてね。いずれにせよ、裏切ったとか、不誠実だったとかいうのは、いわれのない非難だよ。だって、あのふたりの娘って何だい。色の黒いほうの娘ー
☆見知らぬ人の耳打ち、あるいは他の人によってきみは変わらねばならない。いずれにせよ、不正など、この二人の少女の振舞いを見ると、先祖の闇の中だよ。