『色彩の変化』
奇妙なのはフレームが浮いているように見えることである。背後のゼブラ模様の壁に付いているものならば右の壁面はゼブラ模様の壁より後ろにあることになるが、ゼブラ模様の壁には影がない。因って右の壁はゼブラ模様の壁より手前にあり、ゼブラ模様の壁は、少なくともフレームの影の及ばないほどには隔たっている。遥か向こうという可能性もあるが、模様の輪郭が明確であるという距離らしい。
要するに枕の置かれている床面・右の壁面・ゼブラ模様の壁面・フレームの各々の位置関係が測り難く、実に巧妙に配置された各パーツなのである。
枕は夢想空間を暗示しているのだろうか。枕・右の壁面・フレームは同色に近く、全体は《黒・白・グレー》の無彩色の印象がある。ただフレームの中で分割された左には《青》という水あるいは空を暗示する色が際立っており、不定形な、いかにも次の変形を予測されるような白い泡状のものが描かれている。
遠近を拒絶しているような画面の中で、広がりある空間を内包している。
前面の雲状(泡状)のものは曖昧模糊としているが、背後のゼブラ模様には曖昧さの欠片もない。
これを『色彩の変化』と名付けている。
見えること/見ることの、視覚の変動を余儀なくされるような企みが隠れている。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
生な松の丸太がいつぱいつまれ
陽がいつかこつそりおりてきて
あたらしいテレピン油の蒸気圧
☆章(文章)には、照(あまねく光が当たる=平等)を願う他意がある。
要である諭(教え導くこと)は、常に基(基本)として企(計画している)。
いや、こんなふうに逐一弁解しなくてはならないなんて、恥ずかしいくらいだよ。しかし、きみの要求だからね。とにかく、あの色の黒い娘はきみにとってとおなじくらい、ぼくにとっても虫の好かない女だね。
☆個々別々に弁護しなければならないなんて全く恥ずかしいよ。でも、きみを弁護するためだからね。暗黒もまた多分そんなに悪くないよ。