田園、生きるための糧を産出する田や畑の広がり・・・すなわち人力のなせる美の結晶たる場所である。
任意に横に延びる帯線の数多は、多くの地殻変動を経た後という地球の変遷・歴史を暗示したものだと思う。縷々、幾世代を経由して今在る田園を作り上げたという感慨。
重複・重層・・・天変地異、あらゆる激動の時代を経て、今在るわたし達の田園たる風景が存在する。しかし、その光景の中には膨大な時間の眠りが潜んでいる。
作品を見た直後の印象は、凝視の時間と共に天地を逆転させる。
肯定的見地…否定があり、そのまた否定が隠れている。しかし、大いなる肯定としての全体の構成は平面状に切り抜かれた木の枝(木の根)によって有無を言わせない。
(だからどうした)という軽いそよぎが全てを打ち消すと同時に肯定しているからである。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
パート四
本部の気取つた建物が
桜やポプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない
☆翻(ひっくり返す/つくりかえる)部(区分)の記の趣(考え)を兼ねている。
仏が負い流(ひろめる)肝(重要な部分)は、即ち題(テーマ)の二つに力(力を尽くし)継(つないでいく)。
照(あまねく光が当たる=平等)という一つを、普く真(まこと)の記を兼ね、遂(やりとげる)。
バルナバス帰っていなかった。しかし、もうすぐ帰ってくるにちがいないと保証するし、こちらも、そうだろうとおもえた。
☆バルナバスは帰っていなかった。しかしすぐに帰るに違いない、と崇拝の念をもって信じられると確信できた。