続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞デュシャン『パリの空気50㏄』

2019-07-10 07:02:26 | 美術ノート

   『パリの空気50㏄』
 レディ・メイド:ガラス製アンプル、高さ13.5㎝、円周20.5㎝

 パリの空気?空気は無色透明・無臭の気体であり酸素1、窒素4を主体とする気体である。地球を取り巻く大気圏の最下層の気体であれば、地球上ほとんど同質である。(湿度には差がある)

 このアンプルの中身を『パリの空気50㏄』と称している。ガラスの体積を考えると50㏄では足りない。では他の地域の空気との混合?(そんなことは出来ない)

 つまり「パリの空気50㏄」と言えば、真偽ではなく確定なのである。見えていない対象に対する解釈は自由である。
 見ることと見えること、見えていない物の存在を言葉に置換出来るだろうか。
 見えていない物に対する証明、形をもたない物を封じ込め決定的な説明を付加することは簡易な設定においては困難である。

「この中にはパリの空気50㏄が入っているのか」という肯定(納得)には疑惑(否定)が浮上する。肯定と否定、不可視なものに対する決定は鑑賞者を不穏に陥れる。

「存在とは何か」であり、「見えているものが存在の総てではない」ということを再認識する。
 物理的な条件は心理的な条件を限定する傾向にあるが、精神はその否定の上に自由に開かれているに違いない。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より

 


『セロ弾きのゴーシュ』56.

2019-07-10 06:46:11 | 宮沢賢治

そしてまたガラスへ飛びつきさうにするのです。ゴーシュは思はず足を挙げて窓をぱっとけりました。ガラスは二三枚物すごい音して砕け窓はわくのまゝ外へ落ちました。


☆秘(人に見せないように隠す)詞(言葉))が即ち照(あまねく光が当たる=平等)が総てである。
 慈(愛しみ)の太陽(Sun)には邁(勝る/優れた)仏による済(救い)がある。
 双(二つ)に解(分ける)絡(みちすじ)がある。


『城』3221。

2019-07-10 06:25:49 | カフカ覚書

彼は、彼自身の考えによると、たぶんなにかどうでもよい偶然の理由からー疲れはて、失望し、その過労と幻滅のために無遠慮に、無関心になってー間違った部屋にとびこんできただけらしいですからね。彼は、なにもしらないでそこに腰をかけ、しきりに自分のしくじりとか拾うとかを考えをめぐらせている(そもそも彼がなにかを考えているとしての話ですがね)。


☆疲労による無関心な偶然からまことしやかな意図に幻滅し、疲れによる考えなしの無関心や幻滅で、他のテーマに入りこむ。意志もまた無知による思い違いで疲労しつつの見解である。