続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞デュシャン『与えられたとせよ:(1)落ちる水(2)照明用ガス』②

2019-07-30 06:24:50 | 美術ノート

 落ちる水とは、重力があることが大前提の水惑星である地球ということである。
 照明用ガスとは、太陽から送られてくる熱エネルギー(光)であり、水と光が地上の根本原理であるという表明だと思う。
 それらは人智が創造したのではなく、《あらかじめ与えられたとせよ》という宇宙の神秘、宇宙の意志であり、詮索無用の起源であるとしている。

 存在の発端から現代までの時間空間、相当に長く、否、短いかもしれない。わたしたちはこれから先の未来を知らない。
 確かに時間の経由はある、たとえば扉に見る木材の劣化や修繕を施した形跡という人為によって連鎖する時空の証明。しかし空間の方は何万年の経由にもさほどの相違を見ない、つまり扉一枚の向こう側に等しい空が広がっている。

 簡単に開けられるかの扉の様相、(叩けよ、さらば開かれん)そうだろうか。
 なんとかして過去(存在の根本原理)を垣間見ようとする眼差し、人から出た手垢の集積・・・自己の確認、すべての始まりである存在への飽くなき究明は人類の最大の関心事である。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より

 


『セロ弾きのゴーシュ』69.

2019-07-30 06:16:01 | 宮沢賢治

「ふう、変な曲だなあ。よし、さあ弾くぞ。おまへは小太鼓を叩くのか。」ゴーシュは狸の子がどうするのかと思ってちらちらそっちを見ながら弾きはじめました。


☆片(二つに分けた一方)を極(きわめる)談(話)である。
 照(あまねく光が当たる=平等)の態(ありさま)は個(一人一人)が光である。
 理(物事の筋道/宇宙の根本原理)における死の旨(考え)が現れる談(話)である。