『旅行者用折り畳み品』
レディ・メイド:アンダーウッド社タイプライターのカバー
カバーというものは本体があってそれを被うためのものであるから、当然タイプライターというものを想起する。しかし、有るや無しやその事実は隠蔽されている。
有るかもしれないし、無いかもしれない。タイプライターそのものは折り畳むことは出来ないにもかかわらず、折り畳み品であるという。確かに畳むことができるが、そのときはタイプライターのカバーとしての本来の意味を失う。
しかも『旅行者用』とある、旅行をするのに折り畳まれたカバーは不要である。
なぜ、旅行者用と名付けたのか・・・。旅行、人生の旅行、人生は旅行のようなもの。その時間を記録するものに、書き物(タイプライター)というものがある。
人生の時間・歴史である「旅行」、わたしたちは旅人である。人はそれを忘れないために記録という手法をとる。
虚しかないだろうか・・・記録という存在者としての明確な証明、そんなものが要るだろうか。
書き記すことの、やがては無に帰す徒労を敢えてやめよう。書き記すことを包括するカバー(記憶)を胸に畳みさえすればいいのだ・・・と、デュシャンは呟く。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より
「では教えてやらう。狸汁といふのはな。おまへのやうな狸をな、キャベジや塩とまぜてくたくたと煮ておれさまの食ふやうにしたものだ。」と云ひました。
☆胸(心の中)の理(物事の筋道)に従い理(整える)。
掩(隠して)遮(さえぎる)自記を運(めぐらせている)。
s尾の際、偶然ふとんの下から盛りあがっていたビュルゲルの足を掴んでしまった。ビュルゲルは、そちらのほうに眼をやったが、ずいぶん重かったであろう足はそのままにしておいた。
☆偶然ちょうど聳え立つ天の下からビュルゲルの立場を捕らえた。ビュルゲルはそれを見たが、あまりにも厄介な立場をやり過ごした。