久里浜ペリー祭俳句大会に参加させていただいた。(7/13)
俳句の神髄というものを理解できないままでいるわたし。ところが生で作品に触れてみると《ズキン》と来るものがあった。
梅を干す一語一語を置く如く (呑舟)
扇子手に少年棋士は風をよむ (呑舟)
夜濯ぎや輪ゴムで括る後ろ髪 (ゆみこ)
法話聴く扇子小さく使いけり (湖楊)
小三治の小言を刻む扇子かな (のだ)
大会というものに参加して目が覚める思い、精神は現場でしか味わえないものかもしれない。
『オーステルリッツの喧嘩』
ナポレオン一世のオーステルリッツの戦勝を記念して建てた『オーステルリッツ記念柱』。それを皮肉ったのかもしれない『オーステルリッツの喧嘩』という作品(ミニチュアの窓:木とガラスに油彩)の提示。
窓にはガラス屋がつけたペンキの印がそのままになっているという、ここは重要なポイントである。
要するに領地争いである、地球を空から見れば国境など見えない。その国境拡大のための戦争をデュシャンは『喧嘩』と秘かに嘲笑したのである。透明、見えないはずの、国境への確執、領地争奪戦。
透明であるはずの世界に汚れをつける子供のような喧嘩だといい、戦勝の歓喜のシンボルなどではなく、この大戦に出た死傷者への秘かな弔いの形(墓標)である。
窓の解放感、自由を汚したもの、それが『オーステルリッツの喧嘩』だと言っている。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より
今夜は何が来てもゆふべのくゎくこうのやうにはじめからおどかして追い払ってやらうと思ってコップを持ったまゝ待ち構へて居りますと、扉がすこしあいて一匹の狸の子がはひってきました。
☆混ざっている也。
化(形、性質を変えて別のものになる)に頼り、対(二つ揃って一組になること)に続ける詞(言葉)がある。
講(話)は挙(すべて)秘(人に見せないように隠している)。
逸(隠した)緒(もろもろ)は、理(道理/筋道)の旨(考え)である。
この得がたいチャンスにめぐまれた、しかし、測量師さん、いいですか、いまはその気になればどんなことでも思いのままにできる、そのためには自分の願いを述べるだけでよい、それをかなえてあげる用意はできている、それどころか、もうそのほうに手をのばしさえすればよい……こんなことまでことごとく教えてやらずにはおれなくなるのです。これは役人にとってつらい瞬間です。
☆すでに制御できる土地を失ったことに気づいた人の大群が、何らかの方法で申し立てることを願いでて、すでに実現の用意が出来ているのです。
どのように、死に手を差し伸べ示すかは役人にとって厳しい時なのです。