続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『1-1-10 泳ぐ犬』②

2019-09-06 06:54:34 | 美術ノート

 何かに向かって来る犬の観察。
 泳ぐ犬・・・空気より負荷のかかる状態である。泳ぐことを止めれば、溺れ死ぬことは必至である。
 泳ぐこと(エネルギーの放出)は、目的に向かうと同時に死をも孕んでいる。地上(空気中)では寝転んで休んでも生命の維持は保証されているが、水中では泳ぎ続けない限り生命の保証がない。

 命がけである。
 泳ぐ(前進する)ことの意味、泳ぎ続けねばならないことへの希望と絶望の混在をなおも超えていこうという意思。

 耳を立て目を見開いた犬は泳ぐことだけに集中している。泳ぐことの意味は岸にたどり着いた途端に霧消するに違いないが、着地点は未知である。

『泳ぐ犬』は比喩だろうか。波の振幅、空気(光)の振幅、異なる相を複合的に捉えつつ前進していく犬。

(犬はわたくしの自画像でもある)若林奮のつぶやきを聞いた気がする。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展図録・於:神奈川県立近代美術館


『セロ弾きのゴーシュ』96.

2019-09-06 06:39:56 | 宮沢賢治

「だめだ。おい、ゴーシュ君、何か出て弾いてやってくれ。」
「わたしがですか。」ゴーシュは呆気にとられました。
「君だ、君だ。」ヴァイオリンの一番の人がいきなり顔をあげて云ひました。


☆訓(字句を解釈し)化(形、性質を変えて別のものになる)で推しはかる談(話)であり、法(神仏の教え)の記である。
 訓(字句を解釈すると)訓(教え導くこと)が逸(隠れている)。
 判(可否を定める)図りごとに願いを運(めぐらせている)。

※顔はガン、あるいはFace→Faith(信仰)を暗示しているので、
 判(可否を定める)図りごとで、信仰を運(めぐらせている)とも読める。


『城』3260。

2019-09-06 06:31:18 | カフカ覚書

これらの命令は、彼に都合のわるい命令も、都合のよい命令も、すべて彼のうえを素通りしてしまう。しかも、都合のよい命令も、どうやらその最後の芯は都合のわるいものであるらしい。いずれにしても、どの命令も、彼の頭上を通り越していった。それに手を出したり、それをだまらせて、こちらの声を聞いてもらったりするには、彼の身分があまりにも低すぎるのだった。


☆命令は、不利なものもそうでないものも彼を素通りしていく。好都合な命令も最後には都合の悪いものになり、いずれにせよすべては素通りしていく。彼はまったく黙ったまま自身の声に耳を傾けた。