港の意味を考える・・・海と陸との接線、異なる領域が交わるところ。
本に見えるものが提示するものは・・・歴史というより思慮、思惑かもしれない。
攻撃とみられる量感ある物体は、外部からの圧力、予期せぬ襲撃。
以上を重ねてみると、個人的な空間をも想像することができる。自分の見解に対する否定、揶揄であり、港は自身である。
真上からの圧力ではないが吹きこんでくる猛威は自身にとっての脅威である。潰されていないが受け止めている攻撃、外部との《対峙》である。
自身のなかで育んだ経験値、情報の集積(学習)、自身の答えに対する外部の攻撃である。
《自画像》、自身を客観的に眺望した空気感ではないか。
大きな広い領域にもごく個人的な見解にも通用する『港に対する攻撃』は、作者の告白めく心情を含んでいる。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
忘れえぬ人々
多摩川の二子の渡をわたって少しばかり行くと溝口という宿屋がある。その中程に亀屋という旅人宿がある。その中程に亀屋という旅人宿がある。
☆妄(でたらめ)で杜(根拠のない)度(悟りの世界)である。
汰(えらび分ける)魔(人を惑わせる)の千(沢山)の字(文字)がある。
詞(言葉)の図りごとは照(あまねく光があたる=平等)の講(話)である。
交わる講(話)は宿(前世)の状(ありさま)である。
注(書き記し)呈(差し出すのは)、鬼(亡霊)也。
慮(あれこれ思いめぐらす)図りごとは宿(前世)である。
もしかすると、この連中は、どうしたわけかこうしてドアのまえにつみあげられたままになっている書類の束をものほしげな眼でのぞいているのかもしれない。ドアをあけさえすれば書類を受けとれるのに、どうしてそうしないのか。解しかねているのだろう。
☆ひょっとすると、不思議なことに取り除かれず横たわっている文書の計画を熱望しているのは嘘かもしれない。いかに誰かが計画を公開することを必要としているか、文書を所有しさえすれば、しかし、彼はできないでいる。