『1-1-7』『1-1-8』
全体なのか部分なのかを判別しがたい。連続して有るものの切断(『1-1-8』)であるのか、究極頂点を持つ全体(『1-1-7』)なのか・・・。
視覚には焦点があり、景色、あるいは対象には全体を感じる機能が前提である。この作品の場合、『1-1-7』は終局の安定を見せ、『1-1-7』では連鎖における不安定要素がある。
二つの作品は対ではなく各々の感覚器官における答えである。
鑑賞者はこれら作品の意味を計りかねる、なぜなら蒐集された情報(固定観念)に照合する手がかりが少ないからであり、具体性を削除しているからである。たとえば点が三つあれば人の顔というように想起しうる特質の付加が皆無なのである。
しかし、形態のごく基本である丸い突起、鋭利な螺旋という情報は誰もが持ち合わせている心理的起伏そのものである。
省略、そぎ落とした明快な形態には郷愁さえもが浮上し、どこか懐かしい原点を彷彿とさせる魅力(引力)が潜んでいる。原始的な風景、延々抱き続ける安心と不安、安定と危機感、目的と惰性といった心理の根底にある情念をシンプルな形に変移させている。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より/神奈川県立近代美術館
『1-1-7』
「「さあ出て行きたまへ。」楽長が云ひました。みんなもセロをむりにゴーシュに持たせて扉をあけるといきまり舞台へゴーシュを押し出してしまひました。
☆推しはかる講(はなし)である。
絡(つながり)を調べ運(めぐらせている)。
字を比べ部(区分けして)他意を追い、推しはかる。
エルランガーがお断りするといっているのに、どうしようというのか。たとえ断られなくても、彼になにを言うことができようか。状況も、はなはだよくないけれども、それ以上にきょうの彼を不利な立場におとしいれたのは、彼の疲労であった。
☆エルランガーが拒絶の合図をするとき、彼は拒絶の合図をしないと言えるだろうか。なるほどKは今自身の死により非常に害されているのは、関係に不満があるからだということを知っていた。