元素とは化学的に分けていって最後に得られる要素であり、ただ一種類の原子によって作られる物質。
作品は鉄で作成されているが、鉄という意ではない。元素に残りはなく、性質を包括する抽象的な概念という見方から言えば、残り元素は非物質である感情(精神の存在)を指すのではないか。
作品は刹那的な場面を切り取ったものであり、戦禍の惨劇、残影である。
強力な破壊兵器、人体の損傷。悪である黒歴史への告発。ここに美はなく醜悪の露呈が言葉を失うほどに曝されている。
事実の特記、怯え、悲しみ・・・激震は後世にまで語り伝えられるべき記録である。
振動、地上の激震は『残り元素』。
非物質である精神界の振動であり、正義の欠落は膨大な損傷を生む。『残り元素』はとてつもなく大きく、複雑な化合物をも生み出す元素である。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
それからあの猫の来たときのやうにまるで怒った象のやうな勢で虎狩を弾きました。
☆描いたのは雷(神なり)である。
度(悟りの世界)の衝(重要なところ)は済(救い)である。
個(一人一人)が主(中心になる)談(話)である。
※インドの虎狩り…インドラはヒンドゥー教・バラモン教の神の名称であり『強力な神々の中の帝王』である。
ヒンドゥー教での雷の神さまでもある。
そのことから察するに、彼らの疲れかたは、おれの疲労とはまったくちがうらしい。ここでは、疲労は、幸福な仕事の最中にあるものらしい。それは、外部に対しては疲労のように見えるが、じつは堅固な安らぎ、不壊の平和なのだ。
☆そのことから推察すると、彼らの眠気(死)はKの眠気とは完全に違うらしい。当地での幸福な眠気(死)は都合のいい現場不在にあるらしい。(死の)真実は、確固たる休息、破壊できない平和なのだ。