続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『赤いモデル』

2022-03-08 07:33:11 | 美術ノート

   『赤いモデル』

 石壁の前の土の道に一足の革靴が置かれている。
 皮であり、人肉であり、足である。履いていないが、履いているが如く足先が人の皮膚である。
 人間の不在、にもかかわらず明らかに人に密接にかかわり、一体にすらなっている。地面との密着、即ち(労働)である。

 人間不在、精神の欠如、労働=足であり、単位(人数)である。全く同じものの増殖、平等とは言い難い物質化した生命の根拠はあまりにも野蛮で淋しい。
 赤、共産主義の律を単純化した仮説で提示している作品からは悲鳴が聞こえる。

 写真は『マグリット』展・図録より


『飯島晴子』(私的解釈)友の棲む。

2022-03-08 06:49:26 | 飯島晴子

   友の棲む氷の島の見えて来し

 氷の島はヒ・トウと読んで、秘、桃。
 見えて来しはゲン・ライと読んで、源、來。
☆友の住む桃源(桃源郷)が来(こちらに近づいてきた)。Ah・・・。

 友の棲むはユウ・セイと読んで、友、精。
 氷の島はヒョウ・トウと読んで、平、等。
 見えて来しはケン・ライと読んで、謙、頼。
☆友の精(心)は平等であり、謙(謙虚)であり、頼もしい。

 友の棲むはユウ・セイと読んで、憂、性。
 氷の島はヒョウ・トウと読んで、表、蕩。
 見えて来しはケン・ライと読んで、顕、磊。
☆憂(心配な)性(生まれつきの性格)が表れる。
 蕩(だらしなさ)が顕(明らか)である。
 磊(小さなことにはこだわらない、わたしである)。

 友の棲むはユウ・セイと読んで、幽、静。
 氷の島はヒョウ・トウと読んで、評、禱。
 見えて来しはケン・ライと読んで、虔、礼。
☆幽(あの世)は静かに評(善悪、可否、価値などを公平にさばく)。
 禱(祈りつつ)虔(慎み深く)礼(敬意を払う)。


吉川宏志(私的解釈)石段の。②

2022-03-08 06:19:38 | 吉川宏志

 石段の深きところは濡らさずに雨は過ぎたり夕山の雨

 石段の深きところ(石段深所)はシャク・ダン・シン・ショと読んで、釈、談、新、書。
 濡らさずに雨は過ぎたりはジュ・ウ・カと読んで、受、迂、過。
 夕山の雨はユウ・サン・ウと読んで、由、三、有。
☆釈(意味を解き明かす)談(話)は新しい。
 書(書き付け)を受けると、迂(遠回り)で苛(厳しい)由(わけ)が三つ有る。

 石段の深きところ(石段深所)はセキ・ダン・シン・ショと読んで、析、段、審、緒。
 濡らさずに雨は過ぎたりはジュ・ウ・カと読んで、需、迂、果。
 夕山の雨はセキ・サン・ウと読んで、積、三、有。
☆析(分けること)が段(手立て)であり、審(正しいかどうかを明らかにする)の緒(いとぐち)が需(必要)である。
 迂(遠回り)の果(結末)は、積(重ねて)三つ有る。

 石段の深きところ(石段深所)はシャク・ダン・シン・ショと読んで、癪、団、診、処。
 濡らさずに雨は過ぎたりはジュ・ウ・カと読んで、受、有、過。
 夕山の雨はユウ・サン・ウと読んで、憂、産、有。
☆癪(さしこみ)が団(治まり)診(病状を調べ)処分(しかるべき始末をする)を受けたことが有る。
 過(時間がたつと)憂(心配)が産まれることが有る。