続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『微笑』

2022-03-13 06:29:35 | 美術ノート

   『微笑』

 ANNO1957、この絵を描いたのは1951年とあるから、少し先の未来、現在と言っていいかもしれない。274はかなり昔(以前)であり、さらに30861は途方もなく遠い未来である。
 この石碑は相当に古い態を醸している、破損した欠片である。途方もなく遠い未来を越え、さらに途方もない時間を経た任意の時空である。

 不可逆である時間の想定、動かしがたい時間の概念。この事実を俯瞰して微笑している時空間が果たして存在しうるのだろうか。

 時間という概念は消失しうるだろうか。単に人間が妄想し作り上げた尺度に過ぎないものでしかないのか。
 私たちが『絶対に信じていること』は妄想に過ぎないのだろうか。

 太陽の巡り、核心は確信として存在し続けることは盤石ではなく、わたし達が信じている《絶対》は『微笑』に等しい軽さをもって見分される日がくるのかもしれない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『飯島晴子』(私的解釈)紅梅の。

2022-03-13 06:06:27 | 飯島晴子

   紅梅のなかに入つてゆく眼光

※なか(中)はチュウと読んで、宙。
 眼光はガンコウと読んで、雁行。
 紅梅の彼方の宙(大空)に雁が飛んで行く景色である。

 紅梅のなかに(紅梅中)はコウ・バイ・チュウと読んで、交、媒、知友。
 入つてゆく眼光(入行眼光)はジュ・コウ・ガン・コウと読んで、需、乞う、眼、幸。
☆交(つきあい)の媒(なかだち)は知友の需(求め)である。
 乞う(望む)眼(かなめ)は幸(幸福)である。

 紅梅のなかに(紅梅中)はコウ・バイ・チュウと読んで、交、倍、注。
 入つてゆく眼光(入行眼光)はニュー・コウ・アン・コウと読んで、新、講、眼、公平。
☆交ぜて倍(多くし)注(書き記す)。
 新しい講(話)の眼(かなめ)は公(一部に偏らない)。

 紅梅のなかに(紅梅中)はコウ・バイ・チュウと読んで、厚、売、衷。
 入つてゆく眼光(入行眼光)はジュ・ギョウ・ゲン・コウと読んで、需、凝、厳、向。
☆厚(てあつい)売(あきない)は忠(まごころ)が需(必要)である。
 凝(神経を集中し)厳しく向(立ち向かうこと)である。


吉川宏志(私的解釈)ゆらゆらと。

2022-03-13 05:31:30 | 吉川宏志

 ゆらゆらと雪の入りゆく足もとの闇をまたぎて電車に乗りぬ

※なにか異世界へでも運ばれるような幻想を抱かせる。

 雪の入りゆく(雪入行)はセツ・ニュー・コウと読んで、説、新、考。
 足もとの闇(足元闇)はソク・ゲン・アンと読んで、即、幻、暗。
 またぎて電車に乗りぬ(跨電車乗)はコ・デン・シャ・ジョウと読んで、個、伝、者、情。
☆説(話)は新しい考え、即ち幻であり、暗(人に知られない)個(一つ一つ)を伝伝える者(わたくし)の情(個人的な感情)である。

 雪の入りゆく(雪入行)はセツ・ニュー・アンと読んで、切、新、案。
 足もとの闇(足元闇)はソク・ゲン・アンと読んで、促、厳、庵。
 またぎて電車に乗りぬ(跨電車乗)はコ・デン・シャ・ジョウと読んで、古、殿、斜、状。
☆切(すべて)新しくする案(計画)を促(せきたてる)のは厳(容赦がない)。
 庵の古い殿(建物)は斜めの状(ありさま)である。

 雪の入りゆく(雪入行)はセツ・ジュ・ギョウと読んで、窃、受、業。
 足もとの闇(足元闇)はソク・ゲン・アンと読んで、惻、厳、闇。
 またぎて電車に乗りぬ(跨電車乗)はコ・デン・シャ・ジョウと読んで、己、伝、遮、情。
☆窃(秘かに)受ける業(報いを受ける元となる善悪の行い)を惻(心を痛める)厳しさ)、闇(ひそかに)己(わたくし)は伝(言い伝え)を遮る情(心、意地)がある。


M『説明』

2022-03-12 07:35:41 | 美術ノート

   『説明』

 ガラス瓶と人参、ガラス瓶と人参の融合の三体が、青グレイのベタの背景のまえの石ブロックに鎮座している。これをもって『説明』とする意図は・・・。

 ガラス瓶は炭素を含まない無機質であり、人参は炭素を含む有機質である。この相いれない、融合不可の二体が一体と化している妄想。決してあり得ない夢想の提示である。
 現実には決して実現することのない現象も、精神界では可能だということの証明、提示である。
 現実(物質界)は非現実(精神界)においては自由に解放されるということの説明である。

 写真は『マグリット』展・図録より


『飯島晴子』(私的解釈)紅梅の。

2022-03-12 06:37:06 | 飯島晴子

   紅梅の木を抱き昏るることもなし

※紅梅を黙って包む夕暮れの無(マジックアワー)。

 紅梅はコウ・バイと読んで、洪、狽。
 木を抱きはボク・ホウと読んで、僕、倣。
 昏るることもなし(昏事無)はコン・ジ・ムと読んで、渾、治、務。
☆洪(おおみず)に狽(慌てた)僕(わたくし)。
 倣(先例にならって)渾(水が盛んに流れるさま)の事(出来事)を治めるように務(働いた)。

 紅梅はコウ・バイと読んで、巧、唄。
 木を抱きはボク・ホウと読んで、牧、法。
 昏るることもなし(昏事無)はコン・ジ・ブと読んで、魂、自、舞。
☆巧みな唄で牧(導く)法(方法)で魂(精神)が自(ひとりでに)舞(励まされている)。

 紅梅はコウ・バイと読んで、交、媒。
 木を抱きはモク・ホウと読んで、黙、飽。
 昏るることもなし(昏事無)はコン・ジ・ムと読んで、懇、時、無。
☆交(付き合い)の媒(仲立ちをしたこと)を黙っている。
 すぐに飽きて懇(ねんごろ)の時も無かったようである。


吉川宏志(私的解釈)立ち読みを。②

2022-03-12 05:48:01 | 吉川宏志

 立ち読みをしているあいだ自転車にほそく積もりぬ二月の雪は

 立ち読みをしているあいだ(立読居間)はリュウ・トク・キョ・カンと読んで、留、禿、虚、冠。
 自転車にほそく(自転車細)はジ・テン・シャ・サイと読んで、恃、添、者、彩。
 積もりぬ二月の雪はセキ・ジ・ガツ・セツと読んで、責、自、guts、摂。
☆留める禿、虚(うわべだけの)冠(頭にかぶるもの)を恃りにし、添(付け加える)者の彩(すがた)を責(咎める)。
 自(わたくし)は guts(根性、気力)を摂(大切にする)。

 立ち読みをしているあいだ(立読居間)はリュウ・トウ・キョ・カンと読んで、留、謄、寄与、換。
 自転車にほそく(自転車細)はジ・テン・シャ・サイと読んで、字、転、写、再。
 積もりぬ二月の雪はセキ・ジ・ガツ・セツと読んで、積、字、合、説。
☆留めて謄(書き写すこと)は寄与(役に立つ)。
 換(入れ替えて)字を転写する。
 再び積(つみ重ね)字を合わせる説(話)である。

 立ち読みをしているあいだ(立読居間)はリュウ・トウ・キョ・カンと読んで、隆、闘、拒、艱。
 自転車に細く(自転車細)は、ジ・テン・シャ・サイと読んで自、恬、視野、采。
 積もりぬ二月の雪はセキ・ジ・ツキ・セツと読んで、寂、事、尽き、説。
☆隆(さかんに)闘うことを拒み、艱(なやむ)自(わたくし)、恬(心が静かであっさりしている)視野(思考、見解、観察などの及ぶ範囲)を采(えらびとる)のは、寂しい事に尽きる説(はなし)である。 


『飯島晴子』(私的解釈)足もとの。

2022-03-11 06:57:19 | 飯島晴子

   足もとの劣情の白すみれかな

※劣情はレツ・セイと読んで、列生。
 足もとに並んで生えている白すみれ、ああ、なんと愛しい風情であることよ!

 足もと(足元)はソク・ゲンと読んで、則、厳。
 劣情はレツ・ジョウと読んで、烈、常。
 白すみれ(白菫)はハク・キンと読んで、迫、禁。
☆則(きまり)は厳しく烈(激しい)。
 常に迫(追いつめ苦しめる)禁(掟)がある。

 足もと(足元)はソク・ケンと読んで、息、験。
 劣情はレツ・ジョウと読んで、劣、状。
 白すみれ(白菫)はハク・キンと読んで、吐く、緊。
☆息(呼吸)を験(確かめる)。
 劣(程度が低い)状(ありさま)を吐き、緊(ひきしめる)。

 足もと(足元)はソク・ゲンと読んで、即、言。
 劣情はレツ・ジョウと読んで、裂、情。
 白しみれ(白菫)はハク・キンと読んで、白、襟。
☆即ち、言(ことば)は裂(バラバラに離れた)情(個人的な感情)であり、白(明らかに)襟(心の中)にある。


吉川宏志(私的解釈)手に置けば。②

2022-03-11 05:52:49 | 吉川宏志

 手に置けば手を濡らしたり貝殻のなかに巻かれていた海の水

 手に置けば手を濡らしたりはシュ・チ・シュ・ジュと読んで、酒、痴、衆、呪。
 貝殻のなかに巻かれ(貝殻中)はカイ・カク・チュウ・カンと読んで、悔、改、酎、感。
 海の水はカイ・スイと読んで、改、遂。
☆酒に痴(夢中になり正常でなくなる)衆は、呪い、悔い改める。
 酎(濃い酒)に感(心が動く)のを改め、遂(やりとげる)。

 手に置けば手を濡らしたりはシュ・チ・シュ・ジュと読んで、種、値、須、受。
 貝殻のなかに巻かれ(貝殻中巻)はカイ・カク・チュウ・カンと読んで、皆、穫、抽、奸。
 海の水はカイ・スイと読んで、誡、誰。
☆種は値(ねうち)がある。須(用いるだけ)を受けとり、皆(すべて)獲り抽(抜き出すこと)は奸(いけない)と、誡(注意)をした誰かがいた。

 手に置けば手を濡らしたりはシュ・チ・シュ・ジュと読んで、手、質、殊、受。
 貝殻のなかに巻かれ(貝殻中巻)はカイ・カク・チュウ・カンと読んで、改、書く、衷、肝。
 海の水はカイ・スイと読んで、皆、推。
☆手(方法)を質(問いただし)殊(異なるもの)を受(うけ取り)改めて書く衷(心の中)。
 肝(要)を皆(すべて)推しはかる。


『飯島晴子』(私的解釈)生きてゐる。

2022-03-10 09:06:54 | 飯島晴子

   生きてゐるうちには芹の花ちらつき

 生きてゐるうち(生居内)はセイ・キョ・ダイと読んで、逝、去、内。
 芹の花はキン・カと読んで、謹、苛。
☆逝去の内(家の中)には謹(かしこまる)苛(きびしさ)がある。

 生きてゐるうち(生居内)はショウ・キョ・ダイと読んで、章、挙、内。
 芹の花はキン・カと読んで、勤、化。
☆章を挙(企てる)。
 内(秘密)の勤めは化(形、性質を変えて別のものになる)である。

 生きてゐるうち(生居内)はショウ・キョ・ダイと読んで、抄、拒、内。
 芹の花はキン・カと読んで、襟、過。
☆抄(注釈をつけること)を拒む。
 内(秘密)の襟(心の中)に過(罪咎)がある。

※生きている内(時間)こそ金(尊い)華が見え隠れする。


吉川宏志(私的解釈)白菊の。②

2022-03-10 06:55:20 | 吉川宏志

 白菊の咲く路地をゆく傘ふたつ高低変えてすれちがいたり

 白菊の咲くはハク・キク・ショウと読んで、白、起句、照。
 路地をゆく(路地行)はロ・ジ・コウと読んで、露、事、講。
 傘ふたつ(傘二)はサン・ジと読んで、三、字。
 高低変えてはコウ・テイ・ヘンと読んで、更、定、編。
 すれちがいたり(擦違)はサツ・イと読んで、察、意。
☆白(告げる)起句を照(見比べる)と、露(あらわれる)事(ことがら)がある。
 講(話)は三つ、字を更(入れかえる)定(決り)で、編(順序だてて並べ)察(明らかにする)意(考え)である。

 白菊の咲くはハク・キク・ショウと読んで、迫、危懼、悄。
 路地をゆく(路地行)はロ・ジ・コウと読んで、漏、爾、抗。
 傘ふたつ(傘二)はサン・ジと読んで、惨、自。
 高低変えてはコウ・テイ・ヘン・と読んで、抗、偵、偏。
 すれちがいたり(擦違)はサツ・イと読んで、殺、威。
☆迫(さしせまる)危懼(あやぶみ怖れること)を悄(憂える)と漏らす。
 爾(あなた)を劫(脅かす)惨(傷ましい出来事)を自(わたくし)は抗(あらがい)偵(さぐる)。
 偏(中正でない)殺(荒々しい)威(脅し)である。

 白菊の咲くはハク・キク・ショウと読んで、博、菊、仕様。
 路地をゆく(路地行)はロ・ジ・コウと読んで、路、恃、光。
 傘ふたつ(傘二)はサン・ジと読んで、太陽、慈。
 高低変えてはコウ・テイ・ヘンと読んで、工、態、遍。
 すれちがいたり(擦違)はサツ・イと読んで、察、為。
☆博(大きく広がる)菊。
 仕様(作り方)の路(みちすじ)で、恃(頼りになるのは)光る太陽の慈(いつくしみ)であり、工(作業)の態(ありさま)を遍(もれなく行き渡るように)察(よく見る)為(行い)にある。