昨日、松ヶ崎疎水から御所に向かう途中、烏丸通を通ると上御霊神社が見えたのでお参りすることとした。
上御霊神社。
立派な門で堂々としている。
ウィキペディアより↓
そもそもは桓武天皇の時代、各地で疫病が流行していた。
これは御霊の祟りであるとして、延暦13年(794年)5月、早良親王(崇道天皇)の御霊をこの地に祀ったのが始めだとされる。
また、この地には平安遷都以前から出雲氏の氏寺・上出雲寺があり、当社の元はその鎮守社であったともされる。
何だかオドロオドロした歴史である。
さらにこの上御霊神社は応仁の乱発祥の地として知られている。
京都観光naviより↓
文正2年(1467)正月18日早朝、この付近、すなわち上御霊神社の森の合戦から、応仁の乱ははじまった。
17日深夜、畠山政長は自邸を焼いて一族や奈良の成身院光宣らと兵約二千を率いてここに布陣した。
翌18日早朝、政長と畠山家の家督を激しく争っている義就(よしなり)が兵三千余で攻撃をしかけ、18日は終日激しい戦闘が続いた。
義就方には朝倉孝景、ついで山名宗全が加勢した。
しかし政長方にはたのみの細川勝元がこの段階では動かず、まる1日の合戦ののち、政長方が敗退した。
これが、応仁の乱の最初の合戦である。
3月、年号は応仁と改まり、細川、山名両陣営ともに味方を集めて戦時体制をかため、5月から上京を中心に、東西両軍の全面的な戦闘にはいる。
怨霊を鎮めるため、丹念にお参りした。
梅の花も咲いている。
境内ある福寿稲成神社にお参り。
味わいのある絵馬である。
京都の町を歴史探訪しながら歩くのも面白い。
さて、応仁の乱から戦国時代~明治時代まで辿りたい気もする。