【生まれながらにして之(これ)を知る者は上(じょう)なり。学びて之(これ)を知る者は次(つぎ)なり。困(くる)しんで之(これ)を学ぶ者は其(そ)の次(つぎ)なり。困(くる)しんで学ばざるは、民(たみ)の斯(こ)れ下(げ)と為(な)る】
(生まれながらにして道理を知っている人は、最上位にあります。学んで道理知る人は、その次に位置します。痛い目にあって初めて道理を学ぶ人は、その次のランクです。痛い目にあっても道理を学ばない人は、人民の中でも最低に位置します)
孔子は、「私も学んでこれを知ったのだから、私は“上”ではありません。一緒に学びましょう」と言ったようです。
孔子様の謙虚さは凄いですよねー。
とりわけ私の場合は、「苦しんでこれを学ぶ」に入るので、その次の次辺りです。
孔子の「私も学んでこれを知った」という言葉を知ったときに、私は「次の次である」と言いやすくなりました。
孔子のそのお言葉を聞くまでは、道理や倫理を知っているつもりでしたので、「自分自身をABCDでランク分けしなさい」と言われたら、「Bです」と答えていたかも知れません。
道理を学び始めて感じたことですが、そこの世界に身を置くことは安心と広さを感じることです。
小さなことにいちいち気をかけないようになった気がします。
ほんとうに大切なことが見えてきたような気がします。
私はこれまで鍼灸の技術だけを頼りに生きてきた気がします。
しかし、去年から、治療技術の高い人を思い出しながら、治療技術の巧拙はどこからくるかを考えてきました。
そして、ようやく技術向上への起点が見えてきた気がします。
この「起点」を、臨床実践塾で皆さんと一緒に学ぶことにしました。
このブログに書いている論語は、私のこれまでの反省を込めて書いているのですが、それでも多くの方々からお礼のメールを頂きます。
(臨床実践塾では論語ではなく、「起点を交えて、鍼灸上達のポイント」を話しています)
何を学ぶか、何を信じるかは、各々違うと思います。
しかし、鍼灸師ならこの世界に来たほうがいいと考えています。
「人間学」則ち、いかに生きるかを学ぶことが、鍼灸技術の向上につながるからです。
人間である以上、失敗はつきものです。
失敗をしない対策は知識や見識を高めることです。
【困しんで学ばざるは、民の斯れ下と為る】
にはなりたくないものです。
(生まれながらにして道理を知っている人は、最上位にあります。学んで道理知る人は、その次に位置します。痛い目にあって初めて道理を学ぶ人は、その次のランクです。痛い目にあっても道理を学ばない人は、人民の中でも最低に位置します)
孔子は、「私も学んでこれを知ったのだから、私は“上”ではありません。一緒に学びましょう」と言ったようです。
孔子様の謙虚さは凄いですよねー。
とりわけ私の場合は、「苦しんでこれを学ぶ」に入るので、その次の次辺りです。
孔子の「私も学んでこれを知った」という言葉を知ったときに、私は「次の次である」と言いやすくなりました。
孔子のそのお言葉を聞くまでは、道理や倫理を知っているつもりでしたので、「自分自身をABCDでランク分けしなさい」と言われたら、「Bです」と答えていたかも知れません。
道理を学び始めて感じたことですが、そこの世界に身を置くことは安心と広さを感じることです。
小さなことにいちいち気をかけないようになった気がします。
ほんとうに大切なことが見えてきたような気がします。
私はこれまで鍼灸の技術だけを頼りに生きてきた気がします。
しかし、去年から、治療技術の高い人を思い出しながら、治療技術の巧拙はどこからくるかを考えてきました。
そして、ようやく技術向上への起点が見えてきた気がします。
この「起点」を、臨床実践塾で皆さんと一緒に学ぶことにしました。
このブログに書いている論語は、私のこれまでの反省を込めて書いているのですが、それでも多くの方々からお礼のメールを頂きます。
(臨床実践塾では論語ではなく、「起点を交えて、鍼灸上達のポイント」を話しています)
何を学ぶか、何を信じるかは、各々違うと思います。
しかし、鍼灸師ならこの世界に来たほうがいいと考えています。
「人間学」則ち、いかに生きるかを学ぶことが、鍼灸技術の向上につながるからです。
人間である以上、失敗はつきものです。
失敗をしない対策は知識や見識を高めることです。
【困しんで学ばざるは、民の斯れ下と為る】
にはなりたくないものです。