【性(せい)は相(あ)い近(ちか)し、習(なら)えば相(あ)い遠(とお)ざかる】
(人間の性は似たりよったりですが、学ぶことで差が出てきます)
学者の息子が学者になるとは限らないものです。
総理大臣の息子が総理大臣になるとは限らないものです。
鍼灸の大先生の息子が鍼灸の大先生になるとは限らないものです。
鍼灸学校に入ってくるときは、そんなに差があるものではありません。
誰が開業しても、お客さんの目からは同じ鍼灸院に見えるはずです。
鍼灸院というひとくくりで見られるからです。
しかし、時間とともに患者さんの数や売り上げに差がでてきます。
【子(し)の曰(たま)わく、教えありて類(るい)なし】
(先生が言いました。教育が全てであって、生まれつきのものではない)
どれもこれも耳の痛い話ばかりですが、教育の重要性が説かれた論語を並べてみました。
人間に上下はなく、教育の仕方や勉強の仕方で未来が変るというわけです。
親にとって子どもは大きな希望ですが、悩みの種になるときもあります。
親が子どもの教育にかける情熱は年々加熱していきます。
日本はまだマシです。
テレビで見るように韓国や中国はすごいものです。
韓国や中国の子どもたちが可哀想と思うときもあります。
ただ、勉強は「させられている」と考える人と、「やっている」と考える人がいます。
「やっている」とおもしろくなってきます。
わからないところを調べて、わかったときの喜びは大きいものです。
それを覚えると、もっと勉強したくなります。
それが実学になってきます。
人間学を学ぶ雑誌『致知』の6月号に、松下電器の副社長に就任したあと、WOWOWの社長、その後会長、現在WOWOW相談役をされている佐久間二氏が、松下幸之助氏と語る場面が掲載されています。
ある時、松下幸之助さんが、新聞広告に出ていた某ミシンメーカーが、消費者が購入したいミシンを積み立てて販売する「予約販売制度」を取っていることがわかり、その調査を命じられ、調査の後報告書を上司に渡しましたら、幸之助さんから直接説明に来るようにと言われました。
佐久間さんは、一通りの報告をした後、「やるべきではありませ」と結論を述べたそうです。
すると、幸之助さんはじっと話を聞いたあと、「君はそれ、自分で確かめたんか?」と言われたそうです。
調査会社や部下にやらせたのではなく、自分の目と耳と足で確かめたのかという意味だったらしいのですが、佐久間さんが「全部自分で確認しております」と答えたそうです。
その場面の詳細まで書くと『致知』の著作権に触れるかも知れないので、ここらで止めますが、佐久間さんの「やるべきではありません」と言い切るところや、幸之助さんが「君はそれ、自分で確かめたんか?」というところは、真に迫ります。
鍼灸の世界は、自分で確認しなくても「古典に書かれている」と言えばまかり通ることが多いものです。
これでは実学にならないと思うのです。
他人の知恵を借りたに過ぎないと思うのです。
自分の目と耳と足で確かめたのでないと、空論に近づいてしまうと思うのです。
私は古典に書かれた内容を確認するために20余年の歳月を要して『人体惑星試論奥義書』という本にまとめました。
文才や編集能力がないことと、最終原稿を提出するときにとんでもないミスをしたせいで、誤植や脱字を多く出してしまいましたが、内容が変ることはなく、自分の目や耳や感触、及び患者さんの変化を「客観的に観ることができ、かつ再現できる方法」を書き留めたつもりです。
孔子は、人間の性は似たりよったりですが、学ぶことで差が出てくると言っています。
学ぶことで自分を変えることができます。
学ぶとは、自分の目と耳と足で確かめることだと考えています。
(人間の性は似たりよったりですが、学ぶことで差が出てきます)
学者の息子が学者になるとは限らないものです。
総理大臣の息子が総理大臣になるとは限らないものです。
鍼灸の大先生の息子が鍼灸の大先生になるとは限らないものです。
鍼灸学校に入ってくるときは、そんなに差があるものではありません。
誰が開業しても、お客さんの目からは同じ鍼灸院に見えるはずです。
鍼灸院というひとくくりで見られるからです。
しかし、時間とともに患者さんの数や売り上げに差がでてきます。
【子(し)の曰(たま)わく、教えありて類(るい)なし】
(先生が言いました。教育が全てであって、生まれつきのものではない)
どれもこれも耳の痛い話ばかりですが、教育の重要性が説かれた論語を並べてみました。
人間に上下はなく、教育の仕方や勉強の仕方で未来が変るというわけです。
親にとって子どもは大きな希望ですが、悩みの種になるときもあります。
親が子どもの教育にかける情熱は年々加熱していきます。
日本はまだマシです。
テレビで見るように韓国や中国はすごいものです。
韓国や中国の子どもたちが可哀想と思うときもあります。
ただ、勉強は「させられている」と考える人と、「やっている」と考える人がいます。
「やっている」とおもしろくなってきます。
わからないところを調べて、わかったときの喜びは大きいものです。
それを覚えると、もっと勉強したくなります。
それが実学になってきます。
人間学を学ぶ雑誌『致知』の6月号に、松下電器の副社長に就任したあと、WOWOWの社長、その後会長、現在WOWOW相談役をされている佐久間二氏が、松下幸之助氏と語る場面が掲載されています。
ある時、松下幸之助さんが、新聞広告に出ていた某ミシンメーカーが、消費者が購入したいミシンを積み立てて販売する「予約販売制度」を取っていることがわかり、その調査を命じられ、調査の後報告書を上司に渡しましたら、幸之助さんから直接説明に来るようにと言われました。
佐久間さんは、一通りの報告をした後、「やるべきではありませ」と結論を述べたそうです。
すると、幸之助さんはじっと話を聞いたあと、「君はそれ、自分で確かめたんか?」と言われたそうです。
調査会社や部下にやらせたのではなく、自分の目と耳と足で確かめたのかという意味だったらしいのですが、佐久間さんが「全部自分で確認しております」と答えたそうです。
その場面の詳細まで書くと『致知』の著作権に触れるかも知れないので、ここらで止めますが、佐久間さんの「やるべきではありません」と言い切るところや、幸之助さんが「君はそれ、自分で確かめたんか?」というところは、真に迫ります。
鍼灸の世界は、自分で確認しなくても「古典に書かれている」と言えばまかり通ることが多いものです。
これでは実学にならないと思うのです。
他人の知恵を借りたに過ぎないと思うのです。
自分の目と耳と足で確かめたのでないと、空論に近づいてしまうと思うのです。
私は古典に書かれた内容を確認するために20余年の歳月を要して『人体惑星試論奥義書』という本にまとめました。
文才や編集能力がないことと、最終原稿を提出するときにとんでもないミスをしたせいで、誤植や脱字を多く出してしまいましたが、内容が変ることはなく、自分の目や耳や感触、及び患者さんの変化を「客観的に観ることができ、かつ再現できる方法」を書き留めたつもりです。
孔子は、人間の性は似たりよったりですが、学ぶことで差が出てくると言っています。
学ぶことで自分を変えることができます。
学ぶとは、自分の目と耳と足で確かめることだと考えています。