【憤(ふん)せざれば啓(けい)せず、悱(ひ)せざれば発(はっ)せず、一隅(いちぐう)を以(も)って反(かえ)さざれば、則(すなわ)ち復(ふた)たびせず】
(わかりたいけどわからない、ともどかしく感じてないなら教えてあげられません。言いたいけど言い方がわからない、とむずむずしてないなら言ってあげられません。一つ教えたら、三倍の質問や疑問を返してくるようでなければ二度と教えてあげません)
「憤」は、「鬱憤(うっぷん)が溜まる」と言うときのように、外へ出さないで心の中で押えている状態。「啓」は、申し上げる。「悱」は、言葉でうまく説明できない状態。一隅は、一つの考え方。
「犬に念仏猫に経」という諺があります。
理解できない人に何を言っても意味がない、という意味ですが、教えを請う姿勢のない人や、聞く気のない人に教えてもあげても値打ちがありません。
鍼灸は嫌だ、という人に鍼灸をすべきではありません。
その人にニーズがあるどうかの話です。
お腹が空いてから食事をする、少々不味いものでも美味しくいただけます。
「不味い、不味い」と言う人はお腹が空いてないので、先にお腹を空かせてあげたらいいのです。
教えるというものはそういうもので、本人が欲していなければ、こちらがいくら説明しても相手の身に着きません。
ミクロ経済学という科目で、「身びいきバイアス」というのがあります。
(マクロ経済学ではなくミクロ経済学です)
人は自分に有利な情報を選択し、不利な情報を選択しない傾向がある。
①患者さんが少ないのは景気が悪いからだ。
②鍼灸師会の方針がはっきりしないから我が鍼灸院の売り上げが伸びないのだ。
③患者さんは移り気だから、やりにくい。
と考える人がいたとします。
そうすると、その人は「自分の問題点を認識できず」に成長できなくなります。
①患者さんが少ないのを、どのように増やすかが仕事です。
②鍼灸師会の方針ではなく、個人の鍼灸院の方針が間違っているかも知れません。
③気移りにさせた原因が自分にある場合が多いのです。
それを解決する方法は、「耳の痛い話に耳を傾ける」ことが重要になります。
則ち、人は、いい情報に耳を貸す傾向があるのですが、自分にとっての「いい情報」というのは、案外「自分の都合のよいこと」と錯覚している場合があるというわけです。
それを「身びいきバイアス」というわけです。
これは情報提供者の問題でもあります。
教えようとしていることが、その人にとって「いい情報である」と感じたら聞いてくれるのですが、そうでないと思ったら耳を貸してくれないわけです。
そうすると、同じ情報でも、いい情報に変えて提供してあげれば耳を貸してくれるわけです。
もう一つの解決方法があります。
わかりたいけどわからない、ともどかしく感じているような人を探して提供してあげればいいわけです。
ある程度の年齢になれば、「誰に教えようか」と考えるものです。
遺産相続をどのようにするかと考えるのと一緒です。
最近の臨床実践塾では、秘伝公開が増えてきましたが、サーッと流して、質問がなければ繰り返して説明をすることはありません。
質問がないということは、以下のいずれかになるからです。
①理解している
②いい情報として受け取ってない
③質問のしかたがわからない
①と②の場合は説明の必要がないわけです。
③の場合は「親睦会」に参加して質問をしてくれたらいいと考えています。
いずれにしても、学ぶ姿勢のある人は学べるものです。
学ぶ姿勢は以心伝心でもわかります。
(わかりたいけどわからない、ともどかしく感じてないなら教えてあげられません。言いたいけど言い方がわからない、とむずむずしてないなら言ってあげられません。一つ教えたら、三倍の質問や疑問を返してくるようでなければ二度と教えてあげません)
「憤」は、「鬱憤(うっぷん)が溜まる」と言うときのように、外へ出さないで心の中で押えている状態。「啓」は、申し上げる。「悱」は、言葉でうまく説明できない状態。一隅は、一つの考え方。
「犬に念仏猫に経」という諺があります。
理解できない人に何を言っても意味がない、という意味ですが、教えを請う姿勢のない人や、聞く気のない人に教えてもあげても値打ちがありません。
鍼灸は嫌だ、という人に鍼灸をすべきではありません。
その人にニーズがあるどうかの話です。
お腹が空いてから食事をする、少々不味いものでも美味しくいただけます。
「不味い、不味い」と言う人はお腹が空いてないので、先にお腹を空かせてあげたらいいのです。
教えるというものはそういうもので、本人が欲していなければ、こちらがいくら説明しても相手の身に着きません。
ミクロ経済学という科目で、「身びいきバイアス」というのがあります。
(マクロ経済学ではなくミクロ経済学です)
人は自分に有利な情報を選択し、不利な情報を選択しない傾向がある。
①患者さんが少ないのは景気が悪いからだ。
②鍼灸師会の方針がはっきりしないから我が鍼灸院の売り上げが伸びないのだ。
③患者さんは移り気だから、やりにくい。
と考える人がいたとします。
そうすると、その人は「自分の問題点を認識できず」に成長できなくなります。
①患者さんが少ないのを、どのように増やすかが仕事です。
②鍼灸師会の方針ではなく、個人の鍼灸院の方針が間違っているかも知れません。
③気移りにさせた原因が自分にある場合が多いのです。
それを解決する方法は、「耳の痛い話に耳を傾ける」ことが重要になります。
則ち、人は、いい情報に耳を貸す傾向があるのですが、自分にとっての「いい情報」というのは、案外「自分の都合のよいこと」と錯覚している場合があるというわけです。
それを「身びいきバイアス」というわけです。
これは情報提供者の問題でもあります。
教えようとしていることが、その人にとって「いい情報である」と感じたら聞いてくれるのですが、そうでないと思ったら耳を貸してくれないわけです。
そうすると、同じ情報でも、いい情報に変えて提供してあげれば耳を貸してくれるわけです。
もう一つの解決方法があります。
わかりたいけどわからない、ともどかしく感じているような人を探して提供してあげればいいわけです。
ある程度の年齢になれば、「誰に教えようか」と考えるものです。
遺産相続をどのようにするかと考えるのと一緒です。
最近の臨床実践塾では、秘伝公開が増えてきましたが、サーッと流して、質問がなければ繰り返して説明をすることはありません。
質問がないということは、以下のいずれかになるからです。
①理解している
②いい情報として受け取ってない
③質問のしかたがわからない
①と②の場合は説明の必要がないわけです。
③の場合は「親睦会」に参加して質問をしてくれたらいいと考えています。
いずれにしても、学ぶ姿勢のある人は学べるものです。
学ぶ姿勢は以心伝心でもわかります。