マンション防災講演会
江嵜企画代表・Ken
自宅マンションの管理会社関西支社主催のマンション防災講演会がグランフロント大阪で開かれると聞き、「防災」ということばに刺激されて出かけた。大阪、奈良、阪神間関西一円の管理会社関連のマンション管理組合責任者約60名が参加していた。会場の様子をいつものようにスケッチした。
主催者挨拶のあと、午前10時10分から約1時間、講師、大阪市危機管理室、地域防災活動アドバイザー、浅岡哲記氏の話しに耳を傾けた。南海地震、東南海地震、東海地震の3つの巨大地震が起こる可能性が高まって来ている。地震に伴い必ず伴う津波被害が特に懸念されると話しが始まった。
阪神淡路大震災の教訓として、自分や家族の力(自助)で生き残った比率が70%、地域の助け合い(共助)による20%,公によるもの(公助)は3%の調査結果があると紹介があった。
津波警報が出たら即逃げることだ。東日本大震災での「釜石の奇跡」として、鵜住居小学校が三原則①想定にとらわれない、②最善を尽くせ、③率先して避難せよと一年で10時間取り、繰り返し防災教育を続けていた成果として、児童の犠牲者はゼロ。一方、「釜石の悲劇」として、住民は、高台に逃げるよう指示されていた。ところが、実際の訓練は、楽な「地区防災センター」への避難を続けていた。津波が来た。とっさに逃げた先は高台ではなくいつもの訓練で集まった「地区防災センター」だった。避難した人のほぼ全員129名が死亡、生存者は34名だった。
マンション固有の問題では、エレベーターは震度5前後で止まるように出来ている。地震の時はエレベーターに乗らないこと。東日本大震災であるビルの非常用エレベーターに乗って犠牲になった。非常用だからと言って安心でない。エレベーターに乗らないことが大切だ。
エレベーター以外では、マンション固有の問題として、受水槽の被害が東日本大震災で多く見られた。水槽本体の破損や傾き、弁や配管の破損で給水出来なくなるケースが多発した。住民は日ごろからどこに受水槽があるか自分の眼でたしかめておくことだの指摘があり、耳が痛かった。非常食、水、懐中電灯、携帯ラジオ、靴(スリッパ)、赤ちゃんのいる家は赤ちゃん用品、高齢者には常備薬の備えも大事だ。
防災の基本は自分のことは自分で守ることだ。次に大事なことは日ごろからマンションの住民同士が顔見知りになっていることだ。防災対策はコミュニケ―ションをよくしておくことに尽きる。
講演の後場所を移して(有)リング、(株)サタケ両社の協力で、非常食の紹介と試食会があった。筆者はアルミで内装されたパック入りチャーハンの元に熱湯をそそぎ15分後においしくいただいた。水だと60分。水がなくともアラレのようにポリポリ食べられますよとPRしていた。
東日本大震災では津波の被害が甚大だった。ある小学校の生徒が書いた防災標語として「100回逃げて100回津波が来なくても、101回も必ず逃げて」が紹介された。
講演の中で3つの巨大地震の歴史が紹介された。1605年2月3日の慶長地震、102年後の1707年10月28日の宝永地震。その時富士山が噴火した。その147年後の1854年12月23日に安政東海地震、その32時間後の12月24日、安政南海地震が起こった。90年後の1944年12月7日に昭和東海地震、その2年後の1946年12月21日に昭和南海地震が起こった。その後60数年経った。
災害は忘れたころにやって来る。ことわざだけは承知している。自ら省みて気恥かしい限りである。(了)