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阪神競馬場見学:西宮文化協会7月行事(スケッチ&コメント)

2022-07-20 09:17:08 | スケッチ


阪神競馬場

画・江嵜 健一郎



阪神競馬場見学会が西宮文化協会、7月行事として7月14日(木)、阪急「仁川」駅東出口改札、午後1時半集合で開かれ楽しみに出かけた。会員有志25名余りが参加した。

吉井同会会長が「今立っている場所の地名は鹿塩といい西宮神社とも縁のある場所です。」と挨拶、堀内副会長が「少し雨模様になりましたが、通常入れない場所にも案内願うことになっています。傘をさしていると馬が驚くことがあるそうですが、馬が見れたら幸いです。」と挨拶があった。

仁川駅から徒歩15分足らずで阪神競馬場入り口に着いた。説明役として同競馬場の長谷川課長、前田係長、丸山氏3人の出迎えを受けた。最初の訪問場所、パドック前で、長谷川課長から「普通入れないエリアや競馬場とは違ったコーナーでポニー馬と触れ合う機会なども楽しんで下さい。現在一部芝のリフレッシュ工事中の様子もご覧くだされば幸いです。」と挨拶された。

パドックは出走前の馬を下見する場所である。参加者の一人が「馬のどこを見ればその日の調子が分かりますか?」と聞いた。長谷川課長は「馬が汗をかいているかどうかを見ます。しかし、調教師でも「馬の調子は分からないそうです」と答えた。妙に納得した。

次に競馬場芝・ダートコースへ向かう。副会長の堀内さんが「馬の気持ちになってコースに入ってください」と言葉をかけられ、一気に場の雰囲気が和んだ。当日、たまたま、芝の張替え工事中だった。長谷川さんは「埒(ラチ)の内側の芝生が傷みが早い」と説明した。「埒が空かない」という言葉があるがその「埒」である。

次に競馬場建物内に移動した。6階に貴賓室がある。ガラス越しに競馬場をスケッチした。貴賓室で堀内副会長から阪神競馬場の沿革について話を聞いた。

「阪神競馬場の歴史は古い。明治43年(1910)に関西競馬倶楽部と鳴尾速歩競馬会が合併、阪神競馬倶楽部誕生に始まる。昭和10年(1935)に鳴尾に阪神競馬場が建設された。第二次世界大戦前後の紆余曲折を経て昭和24年(1949)に仁川に阪神競馬場が竣工された。現在隣接する新明和工業(元川西航空機)の土地の一部が活用された。平成3年(1991)に新スタンドが竣工された。父親、堀内玲が競馬場に当時寄贈した8点の中に、阪神競馬第一レースのときのはずれ馬券も展示されている」と話した。各人にボトル1本の天然水が配られた。

1階通路の展示コーナーを見学のあとポニーリンクに移動した。ポニーリンクに設置された厩舎にいる体験乗馬用の馬6頭を見学することが出来、スケッチした。

移動途中セントラルガーデン、イベント広場、キッヅガーデン、砂場などの前を通過した。「お父さんたちが競馬観戦中、子供連れの家族の憩いの場となっている。授乳室もあります。」と長谷川課長の説明があった。

会場に配布されたパンフレットによれば「ここ関西競馬場には観戦に合わせて合計2,809席の指定席と一般席7,843席がある。レストランも豊富で様々のグルメが楽しめる。」「大阪杯、牡馬クラッシック第一弾の桜花杯、宝塚記念などのGIレースが行われる。」「全国10ある内屈指の競馬場である。1周2,089メートルの外回りコースは、右回りの競馬場では国内最長。ゴール前に待ち受ける登り坂はレースにアクセントを加え,力勝負を演出するレイアウトになっている」とあった。

阪神競馬場見学と言う貴重な機会を企画いただいた西宮文化協会事務局の皆様にひたすら感謝である。(了)



馬の厩舎

画・江嵜 健一郎


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