コシノヒロコさん大いに語る
江嵜企画代表・Ken
ファッションデザイナーのコシノヒロコさんの講演が神戸松陰女子学園大で
聞けると知り、家族と楽しみにして出かけた。神戸はその日生憎の雨模様
だったが、開演時間の1時30分数分前に同校2号館会階段教室はご婦人が
ほとんどで満員、23日付けの読売朝刊によれば約270名だと知った。
ご存知コシノヒロコさんはコシノ3姉妹の長女、話はNHK朝ドラ
「カーネーション」から始まった。岸和田で生まれて育ちました。
朝ドラで取り上げられたのは岸和田の誇りですと話された。
おじいさん子だったこと、おじいさんがお茶屋さん通いしていた時
ついて回っていた。お茶屋でおじいちゃんの酒の肴をかじってばかり
いたのでからだの弱い子になりましたのよと、まるで落語の枕よろ
しく笑いをとった。
おかあさんは、5年前の3月26日になくなられた。2月18日に倒れた。
ダメだったらどうしよう。なんとか回復してくれと必死に祈りました。
実は3月23日はジュンコさん、25日はご本人ヒロコさんのファッション
ショ―が決まっていたからだ。打ち上げパーティーを無事済まし、
病院に駆け付けた。翌早朝2時にお母さんはなくなった。
自分の好きなことしかやらない母親だった。ほったらかしの親だった。
しかし、最後の最後はちゃんと子供のことまで考えてくれていたんだな、
親はありがたいな、としみじみ話された言葉が印象的だった。
お母さんは生前、NHKの朝ドラに出せとNHKの集金のおじさんにまで
言っていた。それが、今年突然現実になりました。毎日「カ-ネ―ション」
の放送時間前には目を覚まし、必ず見る。舞台装置も子供の時そのまんま
です、これから自分たち子供も出てきますから是非見てくださいとPRも
しっかり忘れておられなかった。
1時間近くの話だったのでとても書ききれない。しかし、コシノヒロコ
さんの講演というよりトークショーでは、子供の教育ということばが
しばしば出て来た。それは自分のやりたいことをやりなさい。他の人に
ない物をやりなさい。その一言に尽きる。それも日本独自の特徴を
アッピールして、講演タイトルにあるようにグロ―バルに、つまり
世界の中で生きなさいということだった。
子供ころから絵が好きだったという話も面白った。高校3年のときに
デザイナーの道を選んだ。絵は小さいときから好きでよく描いていた。
それが今も生かされていると話された。
東北の震災の話にも触れ、よその国だったたらペットボトルひとつでも
つかみあいのけんかになる。日本は違った。何時間も並んで自分の順番を
待った。外国人も日本人の素晴らしさを改めて発見した。日本は大震災を
経験した。これからの日本を世界にどう訴えていけるかが大切だと話された。
政治はみんな一人一人が考えてやるものです。今、日本は大変です。
しかし、みんなが日本を盛りたてていった時、日本は変わりますと
びしっと話された言葉が強く印象に残った。(了)