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ジープウエイ・レター(白州次郎と白州正子展)〈スケッチ&コメント)

2009-01-28 22:25:49 | スケッチ


ジープウエイ・レター(白州次郎と白州正子展)

江嵜企画代表・Ken



 神戸大丸で1月28日から2月9日まで「白州次郎と白州正子展」が開かれている。初日ということもあってか、この日を待ちかまえていたと思われる熱心な白州ファンがわんさと会場に押しかけていた。平日と言うこともあるが、いつものことながら圧倒的に年配のご婦人である。
 白州次郎は、戦後の憲法改正を巡る米側との交渉にくまなく携わった。GHQとの折衝を通じて、アメリカ人に「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれたというエピソードが残っている。 彼の妻、白州正子は能、陶芸はじめ多くの優れた随筆も残している。特に優れた美意識の持ち主だったことが彼女の作品、言動、持ち物などから十分想像できる。
 お二人が蒐集された数々の美術品や旧白州停邸「武相荘」の内部の一部を再現して展示されており人気コーナーになっていた。
 憲法改正の交渉の過程でGHQの代表のホイットニーに書いた手紙の一節を会場でスケッチした。
 この手紙は俗に「ジープウエイ・レター」と呼ばれている。白州次郎は手紙の中で直線的に物事を運ぼうとするのがアメリカのやり方。これに対して日本のやりかたは紆余曲折を経て目的に近づくと書いている。アメリカはエエアウエイ〈航空路〉であり、日本はでこぼこ道を越えて出発点(Start)から目的(Object)にたどり着くジープウエイのようなものだと書いている。
 手紙に書き込まれたイラストには松本(当時国務相)が描いたとなっているが果たしてそうだろうか。
 白州次郎はサンフランシスコ講和条約にも当時の首相、吉田茂に随行している。戦後の日本に白州次郎なかりせば、いかなる事態になっていたか。
 会場には数々の白州次郎語録が目に飛びこんでくる。奥様の白州正子さんの生き様や語録も楽しめる。時間を見つけて再度訪れたい。
 見ごたえのある展覧会であった。(了)

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