思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

学歴・資格・検定→知的教育の貧困

2011-10-16 | 教育

日本の知的教育の貧困は、驚くべきものと思います。
学歴、資格、検定・・・・点数=カタチを追う教育は、「外付け」の知しか生まないのです。
知りたい・分かりたいという欲望からの出発がなければ、知は形骸化し、人間が生きることを豊かにしません。

内側から湧き出す力を育てるのがほんらいの知的教育なのですが、それを知りません。
心の内から、
頭の奥から、
身体の芯から、
という基本がないのです。知の貧困化という事態が進みます。

知はパターン化され、有機的連関をもちません。
何故、何のために、何をめがけて、という核がないのです。
意味充実とは無縁なバラバラ知の暗記があるだけです。
「技術知」ばかりとなり、生を価値づけ豊かにする「英知」がありません。

自らの具体的な生の現場につき、大元に戻して考える哲学までも、一つの技術と説明されてしまいます。
それでは哲学にはなりません。
全体的な思考とは、豊かなイメージの世界を多少とでも言語化しようとする努力ですが、現実的な意味と価値をもつイメージは、日々の生活世界(家事を含む生活の細事、慣習・仕事・活動・趣味・遊び)から生まれます。哲学の揺籃は生活世界なのです。それは、思考する実践であり、固定した知識ではありません。

哲学に限らず、個別の知、個々の勉強・学問も、自らの経験に照らして生活世界との結びつきにおいて知らなければ根がなく、生にとっての有用性を持ちませんが、この「疎外された知」は、内的なよろこびを殺し、紋切り型の知を持つ外面人間しかつくりません。

受験主義―点数を目的とした知は、歪んだ精神を生みます。
関心・必要・欲望から出発する内的な知の方法と世界を知らなければ、未来は拓けないのです。

わたしたち日本人も、そろそろ型の文化から脱し、内側から湧き出す知と生を開発したいものです。


武田康弘

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