思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

秀才と天才の根本的違いさえ弁えない日本という愚かな国は亡びるでしょう。

2020-10-16 | 恋知(哲学)

 なにかとても愚かしい話ですが、
いまの日本人は、秀才と天才の決定的な違いさえ分からないようです。

 東大法学部を首席で卒業する人は、既存の枠内での最優秀者で、秀才ですが、天才ではありません。いまある勉強や学問の世界ですべて100点を取るのは正真正銘の秀才であり、天才(創造的頭脳=暗記脳とは異なる脳)とは存在のありようが元から違います。

 複数科目で落第し、成績はせいぜい中位、就職も失敗したアインシュタイン。彼は紛れもない創造的思考力の持ち主で、天才です。日本人にも大勢いますが、今はその一人ひとりの話はしません。

 音楽でも同じ。世界トップの音楽大学を首席で卒業するのは、間違いなく優秀な音楽家で見事な秀才です。そういう彼や彼女は、身体全体が音楽で出来ているようなヴァイオリニストのコパチンスカヤや、音楽のイデアと根源的パワーを顕現する指揮者のクルレンツィスに会い、その音楽を体験するといいでしょう。西側諸国最高の音楽大学での最優秀とは次元の異なる天才世界があり、人がいることに驚愕するにちがいありません。

 秀才=既成枠内の最優秀者と、天才=既存の枠を飄々と超える存在とは、まったく異なる質をもつことも知らないテレビ人を見ていると、呆れ、日本人の質が著しく下がってしまったことに哀しくなります。

 天才そのものではなくても、天才型人間を高評価する教育&文化にしないと、どんどん沈没していくだけです。秀才と秀才型人間ばかりが高評価される国は滅びるでしょう。天才型人間のつくるのがエロース=魅力ある世界ですが、それに乏しい国は生きる意味が希薄な国で最低です。


 武田康弘

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