思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

知ってる~症候群。愚かなるデジタル人間に陥るな!

2022-09-17 | 恋知(哲学)

人の名でも物品の名でもなんでも名がつくるイメージで語る。言葉で語るほかないから名を使うのではなく、アベコベ。

この違いを「思想」ではなく、「実際」によく弁えて語れる人は、あまりにも少ない。いかに言葉に拘束されているかを自覚していない。知ってる~症候群

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 例えば、ロールス・ロイスという名、東大という名、有名な商品名や会社名、それ等の言葉が生みだすイメージを利用して話せば、なにかたいそうな内容が言えている風の気分になれる、
 そのために、勝ち負けの心が強い人は、よいと一般に思われている名(名詞)を連発して、内容がある話ができている(勝てている)と思い込みます。

 一般の人にも多いのですが、それが思想関係の専門家でも多いのです。本の題名や著者名によりかかって、さもさも何か優れたことを語っているかに思わせる、自分でもそう信じ込む(笑)

 【言語中心主義】は、内容や力量や経験の豊かさではなく、言葉(有名な名)の連発で、優れた自分を演出するわけです。イメージ世界の多色多彩豊饒さがなく、言語のガチンコが際立つこと。不毛です。また嫌な世界を生みます。

 これらのことをよくないと思想次元では理解していたとしても、実際の言動では、やはり権威的名詞の連発となってしまい、豊かな内容の展開にはならないことがあります。
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 わたしは、こどもたちと長年親しく接していますが、とても面白くて楽しいです。
 今の大人の常識となっている見方・考え方と全然異なることを言いますが、あっ、はっ、とさせられて嬉しい~~
いかに言語がつくる整合性が自由な発想を阻害しているかがよくわかります。

 言語はデジタル、で、いまの世もデジタル。想いをはせる、とか、ただ感じている、とか、イメージ世界に羽ばたくとか、ではなく、ガチゴチと固く本質的に攻撃的な言語が満載で、豊かな悦びの世界が消えてしまいます。深いウソの世界です。
 感じ知るをそのまま心に溜めるという沈思や落ち着きが消え、すべてを言語に置き換え可能と思うおそろしく馬鹿げた想念に囚われています。【デジタル馬鹿】の勝利です(笑)

 話し言葉は、目が語るものや表情や言い方やでアナログの要素がいっぱいありますが、話し言葉も、書き言葉を話すだけのような人が多くなり、お前はもう死んでいる、の世界になりました!(笑)

 これは、日常生活でも学的世界でも、比較と競争でしか見れない(本人も自覚できないまでにそれが当然となっている)現代の精神風土がうむ愚かさです。ますますその方向が強まるので、子どもが示す赤裸々なこころを抑圧することが正義!?となります。デジタルの技術は、技術でしかありませんが、それを弁えないのが偉い!?(笑)というまでに堕落しているようです。

 全て勝ち負け世界で、びのびとした自由の心をもって、生きることができなくなっています。万人の万人に対する闘争です。で、知ってる、知らない。できる、できない。という【平板なこころとあたま】が「優秀」となります。おしまいです。



武田康弘

 

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