思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

伊藤と山県の二人を出しての菅前首相の追悼の辞は、明治への回帰を目がける自民党の本質を射るものです。

2022-09-28 | 社会批評



「衆議院第1会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が1冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。・・・しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲(しの)んで詠んだ歌でありました。」


以上は、昨日の安倍元首相の国葬で、友人代表の菅義偉前首相の追悼の辞の締めくくりです。



 長州過激派の二人、伊藤博文は、国学者を暗殺し、長州藩主を暗殺未遂、英国公使館に放火して全焼させ、藩金を横領して英国に渡り、英国の圧倒的な文明を自分の目で見て仰天し、尊王攘夷から尊王開国に変わりました。「大日本帝国憲法」を4人で極秘につくり、「主権者は天皇で、将来いかなる事変が起きようと、主権が国民に移ることはない」と教説しました。 民主主義=個人を否定し、家族中心・国家中心主義で、岩倉具視と共に、天皇を生きている神とする政府カルト教=天皇教の創始者です。今に続く一世一元の元号制度は、そのシンボルで、岩倉の発案です。これは、日本の歴史上、一度もなかった制度です。天皇を神として空間のみならず時間をも支配するイデオロギーによっています。

 最下級の武士の子であった山県有朋は、議会が天皇を頂く内閣に反抗するのなら、買収も選挙干渉も、議会操縦の一手段であり容認されるべきとし、自分の考えを実現するなら金の力で、は当然としました。日本初の政党内閣が出来たときも、軍部や司法省、内務省や貴族院など、日本の政・官界の隅々まで張り巡らせた自派閥の網で山県の思い通りにしたのです。内務省などの警察機関や司法関係は彼の派閥で固めました。そして、それが終わると、続いて自由民権思想をつぶすために、「文官任用令」を制定、天皇が任命した親任官以外は、高等文官試験を通った者しか任用できないようにしたのです。これが、現在に続く、丸暗記テスト主義、東大法学部卒の仲間内による官僚支配の始まりです。「天皇教・官僚主義・東大病」の三者一体の日本統治は、彼の業績です。(注1)

 伊藤と山県の二人を引き合いに出しての友人代表の菅義偉前首相の追悼の辞は、まことに明治への回帰を目がける自民党の本質を射るものと言えます。  民主制(政・性)とは無縁ですが、これでよいのでしょうか??

 なお、55代総理大臣の石橋湛山は、自身の「東洋経済」の社説に、山県有朋の死に際して、「死もまた社会奉仕なり」と書き、山県の悪政を厳しく批判しました。オランダの世界的ジャーナリストで歴史研究者のウォルフレンは、「20世紀の世界に負の遺産を作り出した最大の人物」と書いています。日本の天皇主義と韓国の旧統一教会は、同じ思想によっています。それは自民党安倍派=日本会議のウヨク思想とも同じです。

(注1)山県有朋については、わたしの教え子の古林到君が、17年前に調べて書いた文章があります。中間部分は使わせてもらいました。

武田康弘

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