「自分(&家族)のことだけにしか頭と労力とお金を使わない人では、安倍イズム(国体思想)に全部やられます。ケチでセコイ人では、公共善はつくれないのです。」との一行を昨日、fbに書きましたが、
国家主義的な考えを批判する側の人は、言葉はカッコよく「正しい」ことを言いますが、自分のお金を出したがらない人が多いように思えます。ケチで、もらうことばかり~~~(笑)。
身銭を切るということなく、言葉だけが民主主義ではおかしいですよね。「皆」と、民主を言いながら、お金は自分だけに抱え込むのでは、ひどい矛盾です。
自分が想い・考えるよいこと、公共的な広がりをつくること、優れた考えや生き方を広めるために「自分のお金を使う」という開かれた心がなければ、公共はつくれません。
もちろん、お金がない人や生活保護を受けている人は出せませんが、かなりの年収があるのに出さない、身銭が切れないのは、その精神に問題があります。
そういう生き方をしていると、「上からの道徳律の押しつけ」を批判しても説得力をもちません。お金の使い道、というその人の本音が赤裸々になる領域で、社会や公共に開かれた自己をもたず、自分と自分の家族だけに閉じている人の言葉は宙に浮き、白々しいだけです。そういう人が改革運動をしても、誰も未来に明るい希望を感じません。したがって必ず負けます。
社会人=公共人としての自由と責任を感じている人は、お金がないときでも出します。出し過ぎて困るほど、は行き過ぎですが(反省)
それは、自己犠牲では全くなく、自己を公共に広げる喜びです。私の得でもあるのです。
武田康弘