思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

わたしの名盤―交響曲のベスト3(クレンペラーの英雄他)

2010-03-15 | 趣味

ベスト3は、とても無理ですが、あえて決めます。
ただし、長年の愛聴盤ということで、20年以上聴き続けているものに限定します。
以下の3点は、わたしが大好きな交響曲の絶対的名盤です。

1.ベートーベン 交響曲3番 英雄 クレンペラー指揮、フィルハーモニー管弦楽団1959年のスタジオ録音
100種類を超える演奏を聴いてきましたが、これは別格。クレンペラーのライブもありますが、繰り返し聴くならこのスタジオ録音です。

2.ベルリオーズ 幻想交響曲 クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団・1964年、東京文化会館でのライブ。
この曲も30枚を超えるCDを持っていますが、色香と情熱、迫力と品位、すべてを満たす空前絶後の一枚、スタジオ録音もありますが、これはライブに限ります。

3.ブルックナー 交響曲8番 クナッパーツブッシュ指揮、ミュンヘン交響楽団 1963年のスタジオ録音
ヴァントや朝比奈の名演も、この「なにもしない」演奏の前では小粒な音楽でしかありません。まるで音楽の原理のよう。深く、有無を言わせず、人を惹きつけます。

以上の3曲は、最新録音を含めて同曲の私のベストです。

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コメント

わたしの感想 (内田)
2010-03-17 16:43:12

1.ベートーベン 交響曲3番 英雄 クレンペラー指揮、ニューフィルハーモニー管弦楽団1959年のスタジオ録音

これは見事なものです。フルトヴェングラーが好きな人が多いようですが、耳の感度が悪い私にはあの録音ではさっぱり音楽が分からないのです。バーンスタインのウィーンフィルライブも素晴らしいですが、クレンペラーはバーンスタインより数倍恰幅が良い堂々たる演奏ですね。そして細部も美しい。誤解は承知で正にヘーゲルの弁証法を想わせる演奏です。(笑い)


2.ベルリオーズ 幻想交響曲 クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団・1964年、東京文化会館でのライブ。

ミンシュのパリ管といわないところが『にくい』ですね。この演奏は、私もかつて聴きましたが、これこそライブ録音という演奏です。破綻すれすれのスリリングさはライブ音楽でしか味わえないところですね。聴き込んでいくと興奮して思わず腰が浮いてきてしまう演奏です。


3.ブルックナー 交響曲8番 クナッパーツブッシュ指揮、ミュンヘン交響楽団 1963年のスタジオ録音

これがまた凄い演奏です。
この「なにもしない」演奏の前では小粒な音楽でしかありまん。
なにもしないとは一体どういうことでしょうか?あの不気味ともいえるおどろおどろしいまでの4楽章は、確かに広がり続ける宇宙の中に身を投げ入れられたような錯覚に襲われます。ただ、音楽においてなにもしないことほど難しいものはないでしょう。個性(主観性)の消去に繋がりかねないのです。クナッパーツブッシュは練習嫌いで有名だったようですが、プレイヤー一人ひとりの自発性(主観性・主体性)を引き出します。指揮者にそのような技術を超えた『わざ』がないと、なにもしない演奏なんか創れないでしょう。演奏家の個性(主観性)と指揮者の個性(主観性)のぶつかり合いが成功した時、この演奏のようにあたかも「なにもしない」ように思えるほんとうに凄い大演奏が出来るのかもしれません。カラヤンと全く違うところのように思えます。
ただ、ヴァントや朝比奈も相当に大粒な音楽ですよ。そこのところは不同意!
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改めて (タケセン)
2010-03-18 12:59:04

うん、改めてこの三つの交響曲の演奏を聴くと、とにかくリズムがいいのです。呼吸するリズム・身体のリズムに合うので、生理的に気持ちがよいのです。「観念」の前にしっかりした土台としての「身体」があるのです。だから、言葉はいらない、とか、何もしていない、と感じるのでしょう。

クレンペラーの英雄は、同時代の名演として有名フルトヴェングラーのもつ主情性が全くありません。一つひとつの音のエネルギーが極めて大きく、そして個々の音が十二分に解放されています、音楽が生き物のように前に向かって進み、豊かに膨らみ、ついには自然物のような充足と安定に至ります。40年間に数百回以上聴きましたが、飽きることがありません。毎回、身体がパトスで満たされます。

余白にある「レオノーレ序曲第三番」も、これ以上は不可能と思われる巨大な演奏で、まるで天地創造のようです。わたしは、拙宅のオーディオでふだんクラシックを聴かない人にこれを聴かせたところ、その人は唖然として声を失い、しばらく動けませんでした。

クリュイタンス幻想は、上質の香りが漂うような音色で描かれる情熱の音楽です。終楽章は、痺れるような怒涛の迫力ですが、内田さんも言うように危うさを伴ったギリギリの演奏で、まさにライブならでは。一期一会の奇蹟の記録です。

クナの8番は、その後に出た名演と比較すると、その「何もしていない」凄さに黙るしかありません。朝比奈ファンの方、ヴャントファンの方、ゴメンなさい。なんという悠然。なんという無骨、なんという魅力。


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こんばんは (ken)
2010-04-04 23:52:40

クレンペラーのエロイカを検索していてたどり着きました。クレンペラーではストックホルムフィルとの共演版が好きです。クナは絶品、幻想は最近出たミンシュのライブ版が好きです。クレンペラーのライブでベートーベン交響曲全集はいかがでしょうか?
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クレンペラーのベートーヴェンライブ (タケセン)
2010-04-05 12:20:15

コメント、ありがとうございます。
「クレンペラーのライブでベートーベン交響曲全集はいかがでしょうか? 」
とのことですが、
テスタメントから出ているウィーンフィルとの第4、第5は世評にたがわず、EMIのスタジオ録音よりもよいです。わたしは、バイエルン放送交響楽団のとライブ(EMI)が録音を含めて好きですが。
第9もテスタメントの1957年ロンドンでのライブは素晴らしい演奏です。
田園はスタジオ、ライブ、それぞれのよさがあります。
7番は異常なまでに遅い最晩年の演奏(EMIのスタジオ録音)に惹かれます。出た当時に購入し(LP)戸惑いましたが(笑)。

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わたしの感想 (内田)
2010-03-17 16:50:29
1.ベートーベン 交響曲3番 英雄 クレンペラー指揮、ニューフィルハーモニー管弦楽団1959年のスタジオ録音

これは見事なものです。フルトヴェングラーが好きな人が多いようですが、耳の感度が悪い私にはあの録音ではさっぱり音楽が分からないのです。バーンスタインのウィーンフィルライブも素晴らしいですが、クレンペラーはバーンスタインより数倍恰幅が良い堂々たる演奏ですね。そして細部も美しい。誤解は承知で正にヘーゲルの弁証法を想わせる演奏です。(笑い)


2.ベルリオーズ 幻想交響曲 クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団・1964年、東京文化会館でのライブ。

ミンシュのパリ管といわないところが『にくい』ですね。この演奏は、私もかつて聴きましたが、これこそライブ録音という演奏です。破綻すれすれのスリリングさはライブ音楽でしか味わえないところですね。聴き込んでいくと興奮して思わず腰が浮いてきてしまう演奏です。


3.ブルックナー 交響曲8番 クナッパーツブッシュ指揮、ミュンヘン交響楽団 1963年のスタジオ録音

これがまた凄い演奏です。
この「なにもしない」演奏の前では小粒な音楽でしかありまん。
なにもしないとは一体どういうことでしょうか?あの不気味ともいえるおどろおどろしいまでの4楽章は、確かに広がり続ける宇宙の中に身を投げ入れられたような錯覚に襲われます。ただ、音楽においてなにもしないことほど難しいものはないでしょう。個性(主観性)の消去に繋がりかねないのです。クナッパーツブッシュは練習嫌いで有名だったようですが、プレイヤー一人ひとりの自発性(主観性・主体性)を引き出します。指揮者にそのような技術を超えた『わざ』がないと、なにもしない演奏なんか創れないでしょう。演奏家の個性(主観性)と指揮者の個性(主観性)のぶつかり合いが成功した時、この演奏のようにあたかも「なにもしない」ように思えるほんとうに凄い大演奏が出来るのかもしれません。カラヤンと全く違うところのように思えます。
ただ、ヴァントや朝比奈も相当に大粒な音楽ですよ。そこのところは不同意!
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改めて (タケセン)
2010-03-18 12:59:04

うん、改めてこの三つの交響曲の演奏を聴くと、とにかくリズムがいいのです。呼吸するリズム・身体のリズムに合うので、生理的に気持ちがよいのです。「観念」の前にしっかりした土台としての「身体」があるのです。だから、言葉はいらない、とか、何もしていない、と感じるのでしょう。

クレンペラーの英雄は、同時代の名演として有名フルトベングラーのもつ主情性が全くありません。一つひとつの音のエネルギーが極めて大きく、そして個々の音が十二分に解放されています、音楽が生き物のように前に向かって進み、豊かに膨らみ、ついには自然物のような充足と安定に至ります。40年間に数百回以上聴きましたが、飽きることがありません。毎回、身体がパトスで満たされます。

余白にある「レオノーレ序曲第三番」も、これ以上は不可能と思われる巨大な演奏で、まるで天地創造のようです。わたしは、拙宅のオーディオでふだんクラシックを聴かない人にこれを聴かせたところ、その人は唖然として声を失い、しばらく動けませんでした。

クリュイタンス幻想は、上質の香りが漂うような音色で描かれる情熱の音楽です。終楽章は、痺れるような怒涛の迫力ですが、内田さんも言うように危うさを伴ったギリギリの演奏で、まさにライブならでは。一期一会の奇蹟の記録です。

クナの8番は、その後に出た名演と比較すると、その「何もしていない」凄さに黙るしかありません。朝比奈ファンの方、ヴャントファンの方、ゴメンなさい。なんという悠然。なんという無骨、なんという魅力。
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こんばんは (ken)
2010-04-04 23:52:40
クレンペラーのエロイカを検索していてたどり着きました。クレンペラーではストックホルムフィルとの共演版が好きです。クナは絶品、幻想は最近出たミンシュのライブ版が好きです。クレンペラーのライブでベートーベン交響曲全集はいかがでしょうか?
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クレンペラーのベートーヴェンライブ (タケセン)
2010-04-05 12:20:15
コメント、ありがとうございます。
「クレンペラーのライブでベートーベン交響曲全集はいかがでしょうか? 」
とのことですが、
テスタメントから出ているウィーンフィルとの第4、第5は世評にたがわず、EMIのスタジオ録音よりもよいです。わたしは、バイエルン放送交響楽団のとライブ(EMI)が録音を含めて好きですが。
第9もテスタメントの1957年ロンドンでのライブは素晴らしい演奏です。
田園はスタジオ、ライブ、それぞれのよさがあります。
7番は異常なまでに遅い最晩年の演奏(EMIのスタジオ録音)に惹かれます。出た当時に購入し(LP)戸惑いましたが(笑)。


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