思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

橋下&石原氏 人権否定の政治家は、民主制国家の敵であり、国を滅ぼします。

2012-01-17 | 社会思想

政治権力により「基本的人権」を制限できるとする橋下市長と石原都知事。彼らの政治権力による個人の自由の抑圧は、戦前の天皇制による日本やナチスドイツの政治体制を支えた思想と同じで、その時代の多数派(政治権力者)が、個々人の思想の自由とその表明を縛ることができるとします。

このような思想は、【人権思想】を根源ルールとする近代民主主義国家においては認められていません。【互いの自由を承認し合う】ことを認めない思想は、民主主義社会では禁止されています。それが【根源ルール】(通常のルールが成立するための大元のルール)なのです。もし、その根源ルールに従うことがいやならば、この社会・国家で活動することはできません。

以下のブログ(エリノア・ルーズベルトの言葉―偕成社・伝記『世界を変えた人々』第18巻)でもご紹介した【世界人権宣言】(1948年に国連で採択)の19条は、以下の通りです。

「すべて人は、意見および表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由ならびにあらゆる手段により、また、国境を超えると否とにかかわりなく、情報および思想を求め、受け、および伝える自由を含む」

また【日本国憲法】の同じく19条は、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と一言で明瞭です。

個々人の思想の自由、とりわけ、政治体制への批判や反対の自由が保障されなければ、社会の発展は望めず、国は活力を失って滅ぶのです。戦前の日本やヒトラーのドイツが、一時的には驚くほどの発展をしても、結局は壊滅するほかなかった歴史を見れば一目です。

強権により人権を抑える思想は【根源悪】でしかありません。個人の思想の自由こそは、民主主義国家の屋台骨なのです。政治家になる人は、近代民主主義の哲学的基盤について深く明晰な認識をもたなければなりません。心して下さい。


武田康弘
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1 コメント

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正座して「君が代」を歌えとの指導! (はりやー)
2012-01-17 18:16:53
タケセンさん、こんにちは^^

先生を採用する時に思想信条を調べれば良かったんじゃないの?(苦笑)

とツイッター友達の言葉を引用しました

人を雇う時に、そうした調査がどう言う意味をもたらすか?


この問題で今日の東京新聞では、この事が紹介されていました

http://www.jicl.jp/now/saiban/backnumber/hinomaru6.html

障がい児の卒業式の位置づけについて、卒業式は最後の授業であって、これまでの教育の成果を発表する場である、としました。そして、卒業証書を自らの力で受け取るということが、非常に重要である、と指摘しました。また、フロア形式の卒業式は、肢体不自由の生徒でも、自ら卒業証書を受け取ることができるように、バリアフリーの理念をおしすすめたもので、自分の力で卒業証書を受け取ることにより、主体性や意欲を引き出す効果がある、と指摘しました。対面式も、お世話になった人たちに囲まれて卒業をお祝いされる、あるいはエール交換ができる、そういった工夫の中で創造されたものであり、その効果は、在校生のやる気を引き出すそうです。

ところが、いわゆる10.23通達により、こうした卒業式はできなくなりました。通達が、壇上での卒業証書授与、全員の正面向き、教員の座席指定などを命じていたからです。金子さんは、卒業式の練習中に、壇上から落ちそうになった生徒がいたり、職員が車椅子を壇上に上げ下ろしするなど、実際にこうした形式での卒業式は危険である、といいます。また、独力で卒業証書を受け取ることができなくなる生徒もおり、感動を与えられなくなった、ともいいます。寝たままで参加せざるを得ない生徒についても、「君が代」斉唱時には、介助職員がその生徒を抱えて正座して歌うように、との指示もあったそうです。

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