1970年代に録音されたカラヤン3回目のベートーヴェン交響曲全集についてのAmazonの商品説明は、興味深いものと思いました。以下に一部を抜粋します。
これは快楽主義的なベートーヴェンである。もっとも、これらの演奏を聴いていると、ヘルベルト・フォン・カラヤンはセックスと愛を、体つきと感情を混同していないかどうか、ときに疑わしく思われる。 少なくとも彼は、心理学や実体よりも、音の豊かさやテクスチュアの重みにより多く関心があるように見える。彼の解釈には大いなる感情も、葛藤も、精神的解放感もないけれども、大いなる美しさと気分を浮き立たせるものがあることは確かである。
これらのレコーディングを行ったときピークを迎えていたベルリン・フィルハーモニー・オーケストラは、まさに驚きである。その演奏が熱情的であったり、あるいは自発的であったりすることはほとんどないとはいえ、そのサウンドは豪奢で、生気に富み、気分を浮き立たせるほど豊かである。
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わたしは、ベートーヴェンの魂の声を聴くのがよろこびで、精神と身体の双方の内から湧き上がる情熱に震え、何者にも負けない不屈の精神ー思想の駿立に深く感動する。全身に鳥肌が立ってしまう。
だから、カラヤンの演奏を聞くと、なんとも苛立たしくなる。
葛藤のないベートーヴェン。
愛と感情のないベートーヴェン。
精神的解放感のないベートーヴェン。
情熱的、自発的でないベートーヴェン。
そして、
快楽主義のベートーヴェン。
愛と切り離されたセックスと魅惑的な身体のベートーヴェン。
磨かれた美しさと気分を高揚させるベートーヴェン。
豪奢で、華やかな生気に富み、気分を浮き立たせるベートーヴェン。
でも、多くの人に受けるのは、カラヤンの演奏だろう。
日本でも昔から大変な人気で、サントリーホールの前庭も「カラヤン広場」と銘打たれている。
いまもなお、現代文明は、カラヤンの目がけた方向に進んでいるようだ。外的価値、外的美と外的善。
わたしは、それとは異なり、ベートーヴェンの魂と思想の目がけた方向に進みたい。それは、古代ギリシャの精神とも一致する。
武田康弘