読み・書き・計算に始まる客観学は確かに重要ですが、それは知の手段であり目的ではありません。
問題を見つけ、分析し、解決の方途を探ること。イメージを膨らませ、企画発案し、豊かな世界を拓くこと。創意工夫し、既成の世界に新たな命を与えること。臨機応変、当意即妙の才により現実に即した具体的対応をとること。自問自答と真の自由対話の実践で生産性に富む思想を育てること・・・ これらの「主観性の知」の開発は、それとして取り組まねばならぬもので、客観学を緻密化、拡大する能力とは異なる別種の知性なのです。客観学の肥大化はかえって知の目的である主観性を鍛え豊かにしていくことを阻んでしまいます。過度な情報の記憶は、頭を不活性化させるのです。
従来の日本の教育においては等閑視されてきた「主観性の知」こそがほんらいの知の目的なのですが、この手段と目的の逆転に気づいている人はとても少ないのが現実です。そのために「知的優秀の意味」がひどく偏ってしまいます。」
知に対する見方・態度の酷い歪み(客観神話)こそ、わが国の(わが国だけではなく先進産業国全体でしょうが)最大・最深の問題であり、あらゆる困難や不毛な対立はそこから出てくることを知らなければ問題解決の可能性はありません。各自が「主観性の知」を豊かにする努力を始めること、そのための条件整備をすることが何よりも先に求められるはずです。
では、主観性の知を生み出すにはどうしたらよいのか。
主観性の知は、何よりもまず自分の五感で「感じる」ところに始まります。したがって、主観性の知を育成するためには、さまざまな事象を「感じ取る」練習が基盤となるわけです。常に生活の中で直接経験につき、そこから「感じ取りつつ知る」という営みを習慣化する必要があります。
それと同時に、感情の多彩さ・豊かさの育成が欠かせません。そのためには、日々の内容の濃い豊かな対話と共に、詩や物語、音楽や美術、映画、ドキュメント・・・をよく味わい知ることが大切です。偏った感情ではなく、こまやかで深く、「共感性と生命愛に満ちた感情」の育成が、人間のよき生の基盤となるからです。その基盤をつくるための条件が、その人の存在のすべてを肯定する豊かな愛情です。
更に、「センス」を磨くことは極めて重要です。数学の問題を解くにも、研究課題を見つけるにも、ことばを扱うにも、論争するにも、ものを選ぶにも、よいセンスがなければ成果は得られません。センスを磨くためには、自分から積極的にものごとに関わり、そこで失敗と成功を繰り返すことが求められます。他者の判断に従うのではダメで、己を賭けて選択することがないと、センスはほんものになりません。センスとは情報では全くなく、自分自身の内から湧き出る「よきもの」に目覚めることなのですから。ほんらい、情報とはヒントでしかなく、それらは「私」の内なる世界に従い奉仕するものなのです。
知の目的とは、主観性の知(意味論としての知)であり、それは人間が善美に憧れつつよく生きることに直結している知なのです。人間を幸福にするのは主観性の知の力です。
ところが、日本の教育はこのことについてまったく理解→了解していないために、ただの事実学・技術知・客観学を集積することが価値だと錯覚しています。「客観神話」に深く侵されているのです。これでは、知は競争(勝ち負け)でしかなくなり、生の豊かさを育むものにはなりません。この現代の教育と学問の危機を乗り越えるには、「競争原理」から「納得原理」へのコペルニクス的転回が必要です。「私」が、よーく見、よーく聴き、よーく触れ、よ~く味わい、よ~く想い、よ~く考える。それを繰り返すことがなければ、全ては砂上の楼閣で、言葉は観念遊戯に過ぎなくなります。全身で考え生きなければ、人間がよく生きることに資する「腑に落ちる知」は得られないはずです。
武田康弘
(2013年10月に発行した『恋知』武田康弘著より。)
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