みなさま
立派な形式=仰々しい儀式があり、中身・内容のないのを特徴とするのが天皇教ですので、その時の状況により何にでもなれます。
戦争をし続けてきた明治から無条件降伏までは、皇軍の神でしたし、戦後民主主義になれば、平和の顔というわけです。
その象徴が一世一元の元号制度ですが、わたしは、そのような宗教的心性をまったく持ちません。
したがって「天皇教=元号教」とは縁のない考え方ー生き方できましたし、今後もそうします。
わたしの知人や友人には、同様の意見の人が大勢います。
みな、天皇教=元号教には少しのシンパシーも持たず、むしろ、嫌な気持ちになります。
ここで大切なのは、「わたしは、天皇教徒ではなく、元号は使わない」というハッキリとした意思です。
その意思を明晰にすることが、わたしの精神の自由を担保することになります。
あなたには、あなたから始まる個性的で豊かな心、水のようにしなやかで強い精神、のびのびとした自由な言動と笑顔で生きてほしいと思います。
形式―儀式に頭を下げ従う人生ではなく、中身・内容のよさで生きる意味充実の生を歩んでください。わたしはもちろんそうして生きてきましたし、これからもずっとそうします。
※先のBlogもぜひご覧下さい。
武田康弘 (写真は2019年9月)