★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

牛丸仁先生追悼

2012-02-11 23:53:55 | 文学


もう数日前になるが、小学校6年間の担任の先生である、牛丸仁先生が亡くなられたと実家からメールが届いたので、まだ何もする気にならない。先生は詩人で小説家だった。私が小学校卒業以来、右往左往したあげく文学にたどり着いたのは、つまるところ、先生の掌に戻ってきたようなものであった。私は一応文学研究者だが、詩や小説の実作者が「感覚」はもちろん「認識」においていかに鋭いか……わかりやすくいえば、いかに「頭がいい」か……ということを身を以て知っているのを大変貴重だと思っている。いままで沢山頭のいい人間に会ってきたが、人文科学の学者のほとんどは、小説を書く人間に頭の良さで確実に負けているのではなかろうか。おそらく、人文科学に限らず「科学」面している学問は、それを行う人間自らの真の姿からの逃避である場合が多く、その真の姿から出発するしかない小説家にかなわないのである。私は、そういう人間に、歩き方からペンの持ち方、文章の書き方、しゃべり方、立ち振る舞い方、全てを習っているのであって……私がそういう人間を「畏怖」というよりは「恐怖」しているのは言うまでもない。私が×化研究とかメディ×研究などを嫌ったのは、それが上の「畏怖」や「恐怖」からの逃避、あるいは無知を見たからに他ならない。こんなことを言われたことはないけれども──私はいまでも、先生に「お前の真の姿は何なのだ」と勉強中に呼びかけられている気がするのである。

そういえば、小学校の同級会で「今の仕事に満足しているか」といわれた気がするが、先生は「研究者」の私と、私の真の姿との齟齬を見ていたのかも知れない。なにしろ、私が動物状態であった頃から声変わりまでの姿を毎日見届けているのである、確実に私よりも私の姿を知っていたはずである。先生は、その姿をも一緒に持ち去った。

ここ数年、同級会でも会ったし、手紙のやり取りもしたし、先生の鈴鹿での文学講座のDVDも見て、大学の授業で使ったりもした。しかし上の「畏怖」もあってか、私は自分の著書を持っていかなければ恥ずかしくて会えないような気がしていた。先生も催促していた。したがって、私はこの数年焦っていた。もう取り返しがつかぬ。いままで間違いをたくさんおかしてきたが、今回のは一生のうちで最大級の過ちだった。なんと私はまぬけなのだ。

親しい人が去ってゆくと、見る物手に触れる物すべてにその親しかった人の面影が宿っていた──いや、今も宿っていることに我々は気付くものである。我々は、一人で生きていないことは確かだが、それは眼や頭を共有しているからである。だから、親しい人がいなくなれば、我々はしだいに頭を半分、眼を一つもがれる。思い出が残るのではない、思い出は共有されてこそ思い出である。一人では、思い出も人生も半分失うのだ。

ただ、私の場合、いまのところ、先生がなくなってもそんなことはなかった。たぶん、私の頭は先生によって造られたものだからだ。先生は私とともにいない。私が先生とともにあるだろう。