上は、近代文学の祖先の一つである。まるでマンガであるが、まんが的側面は常に残り続けていた。自然主義だって作品によってはそうだ。いや、むしろよくよく写実をしようとすると漫画になる。考えてみれば、絵を描くことと写実的に言葉を使うことは、我々が認識しているよりもほぼ同じ行為なのである。
テレビドラマも故に、非常に画面が鮮明になって、なんだかコメディ化が進んだ気がする。そういえば、大河ドラマのどん詰まりになって、紫式部の娘が史実のとおり?宮中で「光る女君」と化す顛末が仄めかされていた。首相の愛人として首相官邸で長篇小説を書いていたら、昔、靖国神社で首相とつくった娘が「おかあさんの小説の主人公みたいになりたい」とかいって、国家議員たち相手に好色一代女になりにけりとか、まったく破廉恥すぎである。
これに比べると、歴史にひきつけて文学を理解するやり方は、まず間違いを面白く言うしかないデマゴーグになってしまう。爆笑問題が出てるなんとかっていう番組で、源氏物語を何人かの歴史学者が語ってたが、かなりの割合で文学の学会で言ったら即死みたいな内容で、文学を歴史(エビデンスかw)にひきつけて理解する流行であろうがこれはひでえとおもった。
賢子さんは、歴史上の人物ではなく上の大河ドラマの(
花田は抵抗したのであろうが、三木などにあったファストフード化は抑圧された時代の反映ではなかろうか。例えば、「君たちはどう生きるか」は昭和12年でたしかにその時点というのは重要なんだけど、もうすでにいろいろなものが手遅れで、この作が手遅れの段階で書かれている人生論であることは重要である。「人生論ノート」や「哲学ノート」も、本質的にはその手遅れの後に書かれた人生論である。
かく言うわたくしも、どこかしら昭和10年から歴史が始まったみたいなかんじで院生時代を過ごしていたと思う。非常によくない。
昭和初年代から一〇年間はどこかしら軽視されているのだ。戦時の破壊の風景がむしろ、戦争へのプロセスやいろいろな差別の実態からの逃避であったとは、五味渕氏が力説していたところだ。そのかわりの戦後も、昭和一〇年代より前も、ともに霞がかかってしまったのである。だから、左派もやたら「抵抗」はするが、それに留まる傾向がある。しかしまあ、今日も授業であつかったんだが、――中島栄次郎の「浪漫化の機能」をあげるまでもなく、その霞を何とかしようと思って、「問題の実質化」みたいなことを言い始めても無駄なのである。霞を雷雲にかえるだけだ。
そんなことは先刻ご承知の筈の小林秀雄の戦時下の文章を読むと、――意図的に声を潜めた口調や文体にしようという意図がみえなくもないと思う。しかし、もはや声を潜めても彼の言うことは切り取られて拡声器にのってしまうようなyoutubeのショート動画みたいになってしまうことがよく分かっていなかった可能性はある。で、戦後はその反省なのかわからんけど、まわりをやたら拡声器扱いにしている傾きがないではない。上の花★も「あいつは拡声器」とか言われたらしい。