その中にも岩橋どのといへる女﨟は、妖孽まねく顔形、さりとは醜かりし。この人に昼の濡れ事はおもひもよらず、夜の契りも絶えてひさしく、男といふ者見た事もなき女房、人より我勝ちにさし出、「自らは生国大和の十市の里にして、夫婦のかたらひせしに、その男め、奈良の都に行きて、春日の禰宜の娘にすぐれたる艶女ありとて通ひける程に、潜かに胸轟かし、行きて立ち聞きせしに、その女、切戸を明けて引き入れ、『今宵はしきりに眉根痒きぬれば、よき事にあふべきためしぞ』と、恥ぢ交す風情もなく、細腰ゆたかに寄りをる所を、『それはおれが男ぢや』といひさま、 かねつけたる口をあいて女に喰ひつきし」と、かの姿人形にしがみ付けるは、その時を今のやうにおもはれ、恐しさかぎりなかりき。
「妖孽(わざはひ)まねく顔形」とはすごい表現であるが、ここまでくるとルッキズムとはいえない。ルッキズムにおいては、顔に対する形容の語彙が異様に貧困である。問題は美と差別の関係ですらなく、言葉という感覚器官の死滅状態なのである。
1957年の谷川徹三「天皇陛下に奉る書」(『世界』)は長い割に内容がない。天皇にたいする気持ちの違いの原因を世代論に持って行っているせいもある。しかしこの世代論というの、なんとなく戦争や時代相とはずれているなにものかであって逆に興味深い証言になっている。谷川は、西田幾多郎が明らかに谷川にはない皇室に対する心情を吐露していたというエピソードなどを交えながら、古いものは去った方がよいといいながら自らが古くなりつつある自覚から、結局、天皇に対する愛着の周りを低回趣味というような形で旋回している。辛うじて、谷川の言葉が、世代論も戦後精神の自走を妨げる。
谷川を縛っていたのは何であろうか。モンテーニュは「エセー」の第8の中で、精神は何かで拘束されないと想像力でめちゃくちゃになってしまうと言っている。これはたぶん重要なことで、我々はあまりに拘束されすぎているので忘れているだけだ。谷川にとって天皇は、自分の精神を羽ばたかせる敵であり、帰って行く故郷のようなものであったにちがいない。これは漱石の「心」の先生なんかとは違う観念性が感じられる。
とはいえ、谷川たちは別の敵とも闘う必要があった。例えば、巣鴨学園作った遠藤隆吉の『読書法』という書物には、「粗読」してると「脳髄を悪くする」、粗悪なものばかりが注入されてるんだから当然だよとネット民にたいして激しく説諭さるべき文言がかかれてある。しかしこれはただの正論で、ここまで教育者が丁寧なこといい出すこと自体堕落なのだ。戦前の教養人たちは、もっとモンティーニュのようにボケたふりをすることも必要であった。谷川徹三なんかほんとはそこはわかっていたはずであるが、ボケたふりをすれば、遠藤みたいな熱血教育者がやってきてほんとに説諭を始めかねない。
モンテーニュは、自分の記憶(メモワール)の悪さがいかに大事なことか説いてもいるのだが、彼のまわりにも博識だけがとりえでそれ故判断力をなくしてしまった人たちがいたのであろう。感覚器官もたこつぼに貼り付く珊瑚のように密集してしまうと自由に息が出来なくなることがある。言葉という感覚器官は、あくまでフィクションとしてはがれ落ちてなんぼなのであろう。
昨日終わった大河ドラマにたいして、「フィクションですねお疲れです」みたいな皮肉な反応を起こしている人びとに言っておきたいのは、戦国時代の大河なんかある意味もっとフィクションに頼ってるということである。逆なのである。戦国時代の血で血をあらうBattle Royaleこそがフィクションなのだ。優しい脚本家が、紫式部のこの物語は、平和な時代への夜伽のようなもんです、と断っているだけ世の中進んできている。もう少しで平家物語もフィクションであるということになるであろう。
そういえば、ナレーションで死ぬみたいなのを「ナレ死」と言って、あんがいこれがやみつきになっている人もいるとおもう。逆に事実性のリアルが感じられる。いいとこついている。そこででてくるのが、「源氏物語」よりも「栄華物語」である。栄華もあるがすごく人がナレ死ぬ物語である。このまえ「栄華物語」をひさしぶりに大日本文庫で少し読んでみたんだが、すごくテンポが安定した新幹線みたいな安心安全な文章で、逆に源氏物語の変態ぶりが幻のように想起されることだ。それは、――信じられないほど洗練されたジェットコースター的ロマンポルノみたいで、もはや皇室文化の破壊である。