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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

バレンティン60号

2013-10-05 15:36:56 | 日記


バレンティン選手六〇号やっぱり打った。
来年、中日の平田選手にこの記録を破って頂きたい。荒木選手でもいいです。最悪川上選手でもかまいません。

野球のシーンがないんですが(棒読み)

2013-10-05 14:46:45 | 漫画など


たしかNHKだったと思うが、ドラゴンズが必ず負けると言って過言ではない神宮球場になぜか最近婦女子カープファンが押しかけているとかいうニュースがあって、このマンガが紹介されていたところ、細君がわたくしにむかって「買おうとしている」とのたまへり。で、買ってみて読んでみた。

女子高生のイジメられっ子とか、会社で冷ややかに見られているお局様とか、頭が昆虫並みの彼氏にふられた女子とかが、「負け鯉カープ」に感情移入し、ルサンチマンを晴らして、ちょっとやる気を出す、という話である。(うーん、だいたいそんな感じだろう)

しかし、ここで問題なのは、野球の場面が一切ないだけでなく、選手が一人も絵のなかにひとりも出て来ない、ひたすら、客席が描かれている事態である。……というのは、嘘で、選手が出てくると言えば出てくるのであるが、あくまで客席から見た選手なので、豆粒みたいなのである。たしかにそうである。貧乏人席から見ればこんな具合にしか見えないのだ。観客を豆粒あるいは猿並みに描くのが基本であったスポ根からみれば隔世の感だ。(とはいっても、このマンガでも、主役級以外は風景並みである)

日本のプロ野球というのは、神話とか物語なのであって、野球自体はあまり関係なかったというのは、戦後の野球の歴史から言って当然なのであるが……だからこそ、蓮實重彦や高橋源一郎などによって神話解体が行われたりするわけだ。

気になるのはこういうことである。「巨人の星」や「ドカベン」などといたヒーローもののなかにさえ、正義から外れた人間の屑(たとえば「巨人」とか)は結局負けるという要素があったのであるが、「球場ラヴァーズ」にはもう屑はほっといて球場で慰めてもらうしかないという諦念があるのである。だから主人公たち彼らは現実的というより比喩的に「客席」にいるのだ。基本的なことを確認しておくが、主役は選手である。主役が悪を倒す、これが基本である。

ジャイアンツ負けろ。