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ところが一つ大いに愉快なことがある。それはさすがはプロレタリアートと農民のソヴェト同盟だ。家賃は借りる人が一ヵ月にとる月給に応じてきめられる。日本人なんぞは、例えば家主の権田の親爺が月十八円ときめてみろ、その家賃は一文だって動かしゃしない。払えないものは借りるナ! それっきりだ。
ソヴェト同盟では、モスクワ市について云うと九尺四方で四十カペイキ(四十銭に相当する)。それが基準だ。
一つの室でも、だから住む人間によって値段がちがって来る。月給六十ルーブリ(一ルーブリは一円)とる工場労働者が十ルーブリで借りていた室を、仮りに今度は百五十ルーブリとる労働者がかりることになったとする。室代は月給が九十ルーブリ増した率で何割か増して高く払うというわけなんだ。
痛快なのは、ソヴェト同盟の生産拡張五ヵ年計画がはじまるまで、狡いことして儲けていた小成金や商人が、三十ルーブリの室なら九十ルーブリという風に、いつもキット三倍の税をかけられていたことだ。家賃が三倍になるばかりじゃない。電燈料もガス代も水道税も三倍だ。それだけでも、奴等はすっかりへたばった。
――宮本百合子「ソヴェト労働者の解放された生活」