
戦前に書かれた、九州大学の某先生の『皇道哲学』を読み直していたら、頭が痛くなってきたので、先日録画しておいた、
クライマックスで、老いた砲手が「食らえ!マザー・ファ」と言いかけるところを、若造艦長の台詞「イア」を重ねて悦に入っている映画なので、期待通りのアホ映画であった。しかし……
・宇宙人が来た?のであるが、アメリカが、変な光線を宇宙に向けて、「宇宙人発見」の為に発射したからであった。しかし、光線を発射した科学者は「宇宙人がコロンブスで、おれらが原住民」とか、弱気であった。その後の物語、配役をみると、実にいろいろと気を遣っている。……ポストコロニアリズムまことにお疲れ様です。他にも、様々な人種的、障害者的、いろいろ的な配慮誠にお疲れ様です。
・宇宙人と闘ったのが、アメリカのアホ艦長と日本のアサノタタノブ。しかも、いったん指揮権をアサノタダノブに譲るというサービス付き。(知らないうちに奪い返してたが)……ミスターアベに朗報です。指揮権が移譲されるかもしれんぞ。
・あえなく撃沈されたアメリカの駆逐艦。でもまだ策はあるぞ、ということで展示してあった戦艦ミズーリを乗組員のおじいさんたちと一緒に出撃させる。最新鋭の駆逐艦を簡単に沈めた宇宙人の武器にも、「戦艦が簡単に沈むかよ」というおじいさんの言葉通りがんばる。……確かに、特攻隊が突っ込んでも沈まなかったわな、そういや降伏調印もここでしたね。日本の大和みたく、一回沈んどきゃ、宇宙にまで行けるのに、実に惜しい。
……例えば、スピルバーグの「1941」と違って、どうもかなり、勝者の余裕と自由が感じられない映画であった。日本と組んでるところをみても、追い詰められている感じさえする。専守防衛なのに宇宙人が来たらいきなりぶっ放す、古い戦艦に頼る、など「ウルトラマン」だが「宇宙戦艦ヤマト」だかの敗戦国テイストの映画であった。