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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

恋した 書いた 祈った 寂聴

2015-05-14 23:28:46 | 文学


「やらせ」だ何だとどうでもいいことで騒がれている「クローズアップ現代」であるが、今日はまだまだ生きてる【生き】瀬戸内寂聴【仏】さんの登場であった。

だいたい、テレビ自体が「やらせ」みたいなもんだが、瀬戸内寂聴は、「やらせ」というか、若い頃色的な意味で「やり過ぎた」人であった。「やりすぎ」ると逆に出家する資格が生まれるのは当然だ。対して、いまのテレビやネットは、在家信者が毎日密かに破戒をしているようなレベルで、どうせのたれ死以外の結末は待っていない。九三歳の寂聴さん、見た限りでは、どうみても悟ったようにはみえず、「ヤってないと色っぽくなるのよ」と放言する始末。これは、一日中ネットに張り付いている破戒坊主へのオマージュとみた。とにかく、能力もないくせに真実追究とかしてみてもだめであるから、いちど「やらせ」まくってはいかがであろう。最近、テレビを見始めたわたくしから見ても、いつも日和りまくっている「クローズアップ現代」とふさげまくっている「アメトーク」と、双方、真実度は同じようなもんではないか。

いまや、リアリズムの世界は、「いままでもいっぱい殉職してたよ、みんな気付かなかったの?」というような発言こそがそれを支えているから、大丈夫だ。

寂聴さんは「若い人の存在意義は恋と革命しかない」(たしかそんな感じ)と言っていたが、確かに、それしかないであろう。とりあえず、成仏の為には、ヤるしかないのだ。中途半端に人の為につくしたり、同盟国の為にボランティアとかやったりしても、成仏しないで顕彰機関に収納されたりするばかりだ。しかし、確かに現世に留まり続けて、子孫を脅しつづけるのも悪くないかもしれない。というのも……

寂聴さんの最新作ポルノ「どりーむ・きゃっちゃー」(←だいたい、この題名何とかしてよ)によれば、成仏すると、極楽でいままでの男どもとダンスをヤれるらしいからだ。結局、現世でヤってないと、来世でもヤれないという、なんというありがたいお言葉であろう。成仏してもコミュ力が問題になるって、まさに世界は地獄である。