
しろかねにいたくおとれるどるらるを知りてさておく世こそつたなき
国つ物足らずなりなばどるらるは山とつむとも何にかはせむ
これらの歌に「どる」とか、「どるらる」とかあるのは、外国商人の手によりて輸入せらるる悪質なメキシコドル、香港ドルなどの洋銀をさす。それは民間に流通するよりも多く徳川幕府の手に入って、一分銀に改鋳せらるるというものである。
「わたしがこんな歌をつくったのはめずらしいでしょう。」と半蔵が言い出した。
「しかし、宮川先生の旧い弟子仲間では、半蔵さんは歌の詠める人だと思っていましたよ。」と香蔵が答える。
「それがです、自分でも物になるかと思い初めたのは、横須賀の旅からです。あの旅が歌を引き出したんですね。詠んで見たら、自分にも詠める。」
「ほら、君が横須賀の旅から贈ってくだすったのがあるじゃありませんか。」
「でも、香蔵さん、吾家の阿爺が俳諧を楽しむのと、わたしが和歌を詠んで見たいと思うのとでは、だいぶその心持ちに相違があるんです。わたしはやはり、本居先生の歌にもとづいて、いくらかでも古の人の素直な心に帰って行くために、詩を詠むと考えたいんです。それほど今の時世に生まれたものは、自然なものを失っていると思うんですが、どうでしょう。」
半蔵らはすべてこの調子で踏み出して行こうとした。あの本居宣長ののこした教えを祖述するばかりでなく、それを極端にまで持って行って、実行への道をあけたところに、日ごろ半蔵らが畏敬する平田篤胤の不屈な気魄がある。
――「夜明け前」
オリンピックがしらないうちに終わってたが、別に抵抗してたわけじゃなく仕事と家事など忙しくて余裕がなかった。誰かも言ってたけど、やはりあれは見てる方にとっては暇つぶしの側面が大きい。あまりに遠すぎる出来事なのだ。テレビに映されているから余計そうなった。
今考えると、中学生のわたくしに言いたいのは、お前はドストエフスキー読んで興奮している場合ではなく、いますぐ「夜明け前」をよめ、いろんな意味で当事者なんだから今すぐ読め、ということだ。遠すぎることではなく、実際、木曽からの移動が現実的な問題だったのであり、その条件がわたくしを定めていた。
批評的に評価されていた「テイク・シェルター」という映画、――嵐が来ると言うんで庭にシェルターつくるはなしだけれども、思うに、彼らが澄んでいるアメリカの田舎に、これをつくるスペースが庭にあり実際に掘れるほどの堅さの地面であるということと関係がある。我々の社会にはたぶんそれもない。木曽にもない。それは頑強な谷であり、交通路そのものだ。その結果、さしあたり我々は掘らずに空想を空に飛ばす。
「夜明け前」第一部の第三章で、江戸に行こうとする半蔵達が木曽の東の端である奈良井まで来て、なんとなく落ち着く「山の裾」を感じた場面がある。馬籠も「西の山の裾」ということであり、――木曽路は山の中であるが、ちゃんと西と東に山の裾がある。で、半蔵達は、北側の福島の役人的な中心を気にしている。でもほんとの権力は南の美濃のほうにあり、むろんホントの権力は江戸にあり、――更に外側から黒船がくる。上のように、半蔵は、横須賀に旅して帰ってきたら和歌を詠める気がして詠んだら詠めた、みたいなことを第五章で言っている。時事を詠じたなんかうまくもないものだが、宣長を自然に帰れ的な観念として解することであまり自制が働かない。そこに第四章で描かれた、開国に直面する宮川(師匠)が漢心を抜けきっていない直前の世代として浮上してくる。新たなものは知らない宣長や篤胤を通じて自分に復活するような気分なのである。
「夜明け前」は旅小説であるが、木曽のおかれた地理的条件によって認識を得るために旅が必要であり、木曽に帰ることでその認識が変容してそれがまた、――のようなくり返しが複数の人間によっておこる。自分の移動が転向と一体化しているような感覚だから、もはや後戻りは出来ない。歩行は後ろ向きには出来ない。
人類はうどんについて悩みすぎということだ。そのせいで香川県民を超えられない。重要なのは、店選びを思い悩まずとも美味いうどんにありつける文明社会を構築することだ。うどんの美味しさは、個人の哲学だけではなく、文明の哲学を反映する。 それゆえ尽力すべきは、「文明のうどん性」を高めることにほかならぬ。香川はそうして世界に誇るうどん性を練りあげてきた。
香川県民はうどんのために、ため池を築き、塩田をひらき、山脈をこえて路を引き、うどん用小麦の開発に取り組んできた。香川のうどんは、自然の風土と悠久の歴史、そして人々の精神とが絡まりあった、西洋近代的二元論を超越した存在なのである。うどんを啜れば、瀬戸内海文明論が立ち上がる。
――植田将暉「うどんの文明論」(ゲンロン『友の会だより』2024・8/15)
香川出身の植田氏は「文明のうどん性」によって「西洋近代的二ゲンロン」を超越するみたいなことを書いているが、仮にうどんで糖尿病になってもうどんで治せるぐらいのことを言わないと、近代を超えたとは言えないのではなかろうか。無論、上の二つ目の段落のような楽しい嘘は、藤村の主人公達が陥る転向を、うどんの空想的拠点に立て籠もることで避けるためのものである。ゲンロンの人たちは五反田でそれをやろうとしている。それはやはり東京だから可能なことのようにおもえるが、それは我々が「夜明け前」の移動的亡霊に取り憑かれているためであろう。
そういえば、京大パルチザンの竹本信弘氏の死亡記事が出ていた。逃亡生活一〇年で有名な氏は最近まで生きておられたのか。豆本全集を持っているからこんど眺めてみよう。最後は「今上天皇の祈りに学ぶ」とかを書いていたらしいんだが、これは読んでない。しかし、ほんと、移動しすぎにもほどがある。
わたくしだって香川に立てこもっている。それで蕎麦を食べている。
確かに、うどん県みたいなネーミングは確かに小学生並みだ。しかし池波正太郎のように、「東京のうどんなんか東京のおれたちでもまずくて一気に喉に流し込まなきゃいけないほどなんだからさ東京のうどんなんか食べられねえとか言うやつは馬鹿の骨頂」(「男の作法」意訳)とかご託を並べること自体が通を超克した通なのであってみれば、これはこれでうざったすぎる。うどん県のほうがそれが好きだということが分かってよいのではなかろうか。私は蕎麦が好きだ。