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若狭の関谷川原という所は、比治川の水筋がありながら、ふだんは水がなくして大雨の時にばかり、一ぱいになって渡ることの出来ない困った川でありました。これも昔この村の老女が一人、川に出て洗濯しているおりに、僧空海が行脚して来てのどがかわいたので、水でも貰いたいとこの老女にいわれたところが、この村には飲み水がありませんと、すげなく断りました。それを非常に立腹して唱えごとをしてから川の水をことごとく地の下を流れて行くことになって、村ではなんの役にも立たぬ川になってしまったのだそうです。(若狭郡県志。福井県大飯郡青ノ郷村関屋)
――柳田國男「日本の傳説」
空海が儒教批判から始めなければならなかったように、たぶんわれわれもおなじことをしなければいけないような気がする。さっき熊沢蕃山よんでてそうおもった。