

拝師神社にやってきました。「拝師園」とあります。裏を見ると、昭和五十三年復興とありました。

『古事記』の記述だと、天火明命(あめのほあかりのみこと)。太陽神ですね、稲穂の「ホ」「明かり」……あまてらすとは別の神らしいんですが。

太田命・大宮姫命・保食命・稲倉魂命・大巳貴命……確かに、このあたりは、女神が多い気がするな

案内板曰く、
「勧請年月日は不詳。昔、祭祀及び美術工芸を司っていた氏族である拝師族の氏神である。」
のっけから、ちょっと他とは違うかんじがイイです。祭祀を行っている人を祀るという、という点が興奮させます。
「永享二年(一四三〇)上林城主岡因幡守重輯が造営修理した。その子孫の岡藤左衛門は弓の名人で豊臣秀吉の朝鮮征伐に従って戦功があり、その時かの地にあった神像を持って帰ってこの社におさめたが、今はこの神像は所在不明。宝暦六年(一七五六)に本社殿が再興された。」
なんだかすごいぞ。朝鮮征伐で神様持ってきちゃったか――逆に所在不明でよかった気がするよ。
昭和十九年(一九四四)林飛行場の設置に伴い、鹿島神社に合祀した。
まあしかたないです、現人神の命令だったとおもうしね(棒読み)。この飛行場は、戦後も高松空港(今は移転)として使われていたのですが、飛行場づくりのときに故郷を奪われた住民の怨念のせいもあってか、あまり評判は良くなかったようです。だいたいつくる時に、櫻木神社の御神木を切り倒すというんでいろいろとすったもんだがあり(確かに、あのあたりの木にはあやしい切り株あり)、戦後も滑走路の中を県道が横切っていたらしいのですが、飛行機の発着のときは、遮断機が下りていたといいます。この状況では、たぶん、県道から滑走路に侵入して「ひゃっほい」などと遊んでいた馬鹿もいたに違いありません(妄想)。関係ないですが、昨日の平野市太郎氏も戦前に議員になったときに、「田村神社の馬場先に政友会が勝手に電車線引き入れて氏子達が不満たらたらじゃ、どうするんならッ」みたいなことを言っておりました。平野氏は、戦後は空港や道路建設に賛成だったことが多いようですが――いまはなんですか、この空港の跡地は、香川インテリジェントパークですか。ああそうですか。もう、土地ブームだか、先祖の土地の怨霊だか、いろいろなことがあれですね。
それはともかく、上の朝鮮から神さんを盗んできた人の所謂「上林城」はどこにいったのでしょう。
見なかったことにします。
戦後飛行場の一部が開放され、元の耕地に入植した人々が開墾の苦労と、その中から収穫の喜びを感ずる表徴として、氏宮の建立を願う声が結集されて、旧宮跡に昭和二十四年五月三日再建された。
よかったよかった(のかな?)




本殿の方に廻る

この碑を一生懸命読んでいたら、わたくしのまわりに蚊の大群が。わしは陸軍関係者にあらずっ、と慌てて逃げたのですが、沢山さされてしまいました。戦争反対!