★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

石清尾八幡宮を訪ねる4(香川の神社109――朝に侵入編2)

2017-12-03 00:16:43 | 神社仏閣


いちいちデカいこの神社の燈籠1、2、3



北門。ちゃんとした門がいちいちデカい。



手水舎。よくあるシティ神社の拝殿より普通にBIGである。

 

こう云う時の習として、最初は一同遠慮をして酒肴に手を出さずに、只睨み合っていた。そのうち結城紬の単物ものに、縞絽の羽織を着た、五十恰好の赤ら顔の男が、「どうです、皆さん、切角出してあるものですから」と云って、杯を手に取ると、方方から手が出て、杯を取る。割箸を取る。盛んに飲食が始まった。しかし話はやはり時候の挨拶位のものである。「どうです。こう天気続きでは、米が出来ますでしょうなあ」「さようさ。又米が安過ぎて不景気と云うような事になるでしょう」「そいつあ愜いませんぜ。鶴亀鶴亀」こんな対話である。

――森鷗外「百物語」




参道の左手には、「従軍記念碑」(明治29年)。今度ゆっくり読んでみたい。



右手には、栗山臥風氏の碑が建っていた。栗山氏はうちの教育学部の名誉教授で「臥風流」という詩吟の流派をつくったひとである。昭和60年ぐらいに亡くなっている。

能勢は、自分と同じ小学校を出て、同じ中学校へはいった男である。これと云って、得意な学科もなかったが、その代りに、これと云って、不得意なものもない。その癖、ちょいとした事には、器用な性質で、流行唄と云うようなものは、一度聞くと、すぐに節を覚えてしまう。そうして、修学旅行で宿屋へでも泊る晩なぞには、それを得意になって披露する。詩吟、薩摩琵琶、落語、講談、声色、手品、何でも出来た。その上また、身ぶりとか、顔つきとかで、人を笑わせるのに独特な妙を得ている。従って級クラスの気うけも、教員間の評判も悪くはない。もっとも自分とは、互に往来はしていながら、さして親しいと云う間柄でもなかった。

――芥川龍之介「父」


こういう器用なタチもいまはどこかに埋没しているようにみえる……。詩吟を文化に登録して顕彰し始めたらたいがい生命力は失う。のみならず、岡崎雪聲「死神」ではないが、気を紛らすための健康法の一種にかかる文化を貶めるのはたぶん一概に悪い訳ではないのではあるまいか。まあ、どうも詩吟というのはなんか怖くてですね……



あっと思っているうち、第四角コーナーではもう先頭の馬に並んで、はげしく競り合いながら直線に差し掛った。しめたッと寺田が呶鳴ると、莫迦ッ! 追込馬が鼻に立ってどうするんだと、うしろの声も夢中だった。鼻に立ったハマザクラの騎手は鞭を使い出した。必死の力走だが、そのまま逃げ切ってしまえるかどうか。鞭を使わねばならぬところに、あと二百米の無理が感じられる。逃げろ、逃げろ、逃げ切れと、寺田は呶鳴っていた。あと百米。そうれ行け。あッ、三番が追い込んで来た。あと五十米。あッ危い。並びそうだ。はげしい競り合い。抜かすな、抜かすな。逃げろ、逃げろ! ハマザクラ頑張れ!
 無我夢中に呶鳴っていた寺田は、ハマザクラがついに逃げ切ってゴールインしたのを見届けるといきなり万歳と振り向き、単だ、単だ、大穴だ、大穴だと絶叫しながら、ジャンパーの肩に抱きついて、ポロポロ涙を流していた。まるで女のように離れなかった。嫉妬も恨うらみも忘れてしがみついていた。


――織田作之助「競馬」


とりあえず、落ち着いて下さい。上のお馬さんにはちゃんとお尻の穴までありました。この状況で「単だ、単だ、大穴だ、大穴だと絶叫しながら、ジャンパーの肩に抱きついて、ポロポロ涙を流していた。まるで女のように離れなかった。嫉妬も恨うらみも忘れてしがみついていた。」とかはまずいでしょうが……

 

狛犬さん(安政5年8月)。随神門の巨大化したものよりは普通です。普通万歳!



なんか食べてる?



なぜ階段を上るのか?そこに拝殿があるからさ。



階段を上りきると、右手にグロテスクな樹木がお出迎え。以下、高見順の名作「深夜の樹木」をどうぞ。

深夜
樹木は出発の準備をする
魂胆があって準備する
永いことかかるところの準備をする
殆ど毎夜準備する
しっかりと地に根を張りながら準備をする

どこへ出発するのか
それは樹木にもわからないしわかることを必要としない
出発することこそ樹木の生涯の願いである
今夜も
樹木は出発の準備をする
深夜の陰謀に手をふるわせながら準備をする


花▼清輝はこれを「永遠に出発しない」ロマン派として馬鹿にしていたが、無論、それは高見順よりも花田の方が、「準備」ばかりしている慎重な人間だからであって、樹木の気持ちがわかるからであった。高見順はもっと樹木を引きちぎりどんどこ進撃してしまうタチであった。進撃派の自己認識のおかしさこそ厄介なのである。



下拝殿。すごーい。御殿みたいですよ



中に面白いものまで釣り下げてありますよ。回転しないのこれ?



回転しそうで回転しないもの発見。(昭和2年)



左手には、「神輿舎」。



右手には、巨大すぎる「絵馬堂」。単独で絵馬堂があるのがすごい。さっきの三つどもえの馬が三次元の馬好き用だとすると、これは二次元好き用である。この調子だと、どこかに一次元好き用があるに違いない。



社務所。もはやなんでも売っている気がするぞこりゃ。



この燈籠、たぶん北朝鮮のロケットを打ち落としてくれんじゃないでしょうか。というより、何か、この燈籠のかたちって色っぽい気がするのはわたくしだけでしょうか。可愛らしい人に見えてきました。



右手にもありました。上の部分なんか、カールした髪の毛に見えます。エイリアン的な何かにみえたそこのあなた。





映画の見過ぎです。



何か戦闘的なものが彫られている。



上拝殿をのぞむ。



昨日、講義した碑。荒木暢夫の「山のひだ かげるさむさとなりにけり ひとこゑほしき 夕もやのいろ」という歌。
荒木さんは、白秋の弟子。

孤独感を味わいたい人は、このあと「咳しても一人」とか言ってみると最高です。



境内社さんたち。

    

高良社(建内宿禰)、御先社(天之宇受賣命 猿田彦命)、廣瀬龍田社(級津彦命、若宇賀能賣命、級津比命、少彦名命、大年命)、北口霊社(友安刑部霊、友安治部霊)

ちょいと疲れたので、今日はこのぐらいにして、国文学会に行くことにします。

 

表の巨大狛犬に接近。デカけりゃイイというものではないし、あんがいメタボリックシンドロームであることが判明。要検査。天保十二年二月に建立であるが、よほど天保の改革がストレスだったのか、食べ過ぎたのか……


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