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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

里見弴『彼岸花』でリメイクしたほうがいいとおもいます

2013-12-16 22:48:34 | 文学


ゼミ生が里見弴で卒論を書いているので、時々つきあって読んでるんだが、小津映画で有名な『彼岸花』の「原作」が未読だったので、読んでみた。映画よりいい話だった。この通りに映画化されていたら、内田樹の結婚論に小津映画は利用されていないかもしれない……たぶん、キャストも佐分利信ではなく……

カツオ人間とお祭り騒ぎ

2013-12-15 18:27:28 | 音楽
http://j-town.net/tokushima/news/localnews/033253.html


カツオ人間、彼女募集。
(高知県在住か通える、明るく元気な20歳以上の女性で、カツオ人間と一緒に高知県を盛り上げたい人)

カツオ人間は怖いので、×松交響楽団の第111回定期演奏会に行ってきた。


ファリャの藁人形「三角帽子」組曲と、「阿片中毒幻想交響曲」。

ファリャの「三角帽子」といえば、エロ代官が粉屋の人妻をナンパしようとしたが、結局、いろいろあって失敗し、最後はドン百姓たち民衆が、代官に似せた藁人形を放り投げたりしてお祭り騒ぎをやらかす、という――のちのスペインのゴタゴタを予言したとはお世辞にもいえないお話。

ベルリオーズの「幻想交響曲」といえば、説明するまでもなく――、たとえば「彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み。」といった作曲者による自己愛大爆発の解説がついている、非常に美しい曲である。舞踏会で逢瀬→野っ原でデート→夢の中で彼女を殺害→彼も断頭台で首ポロリ→サバトでワッショイ、というありふれた物語であるが、非常に美しい曲である。

結論的に言えば、どちらもどんちゃん騒ぎの曲である。

どちらの曲も私は昔演奏したことがあるが、とても難しい曲で、演奏者に対する作曲者の殺意を感じた。

あらためて実演で聞いてみると、ファリャのオーケストレーションのある種の洗練に対して、ベルリオーズはほんと変わってるなという感じであった。演奏の仕方によるのかもしれないが、曲の前半は、走馬燈のような、ある意味ぶつ切れみたいな曲なのに、断頭台からサバトの流れはよどみなくリアルである。ベルリオーズにとっては、断頭台サバトでワッショイの方が現実だったのであろう。そして当時の人々にとっても……

あなたのことが好きなのに 私にまるで興味ない(確定)

2013-12-14 13:12:17 | 音楽


昨日は、研究室の忘年会だったわけだが、二次会の殻桶ではもう体力が尽きており、アニソンとか粉末粉雪とか、若人が盛り上がっているなか寝そうになってしまいました、申し訳ありません。音痴革新

わたくしの夢の中で誰かが「恋するフォーチュン苦ッキー」を歌ってました。(なお、夢の都合上歌詞を省略した部分がある)

×××××に合わせ
×××××××(体に危険信号が……)
私×見て
その×
×××してみよう(卵大好き)
××日は××の×が××と思う(明日は冬型の気圧配置でしょう。真冬並みの寒気が日本列島を襲うでしょう)

……体に変調転調あり……

塀塀塀塀塀塀
人生捨てたもん××××ね
ギャッと驚く帰責が起きる

寝転ぶのだった

2013-12-10 23:08:20 | 文学


安子は智慧も体も人なみより早かったが、何故か口が遅く、はじめは唖ではないかと思われたくらいで、四つになっても片言しか喋れなかった。しかし安子は口よりも顎で人を使い、人使いの滅法荒い子供だったが、母親は人使いの荒いのは気位の高いせいだとむしろ喜び、安子にはどんな我儘も許し贅沢もさせた。
 たしかに安子は気位が高く、男の子からいじめられたり撲られたりしても、逃げも泣きもせず涙を一杯溜めた白い眼で、いつまでも相手を睨みつけていた。かと思うと、些細なことで気にいらないことがあると、キンキンした疳高い声で泣き、しまいには外行きの着物のまま泥んこの道端へ寝転ぶのだった。

――織田作之助「妖婦」