皆さんには、ある俳優に熱を上げて、その出演作が公開されるたびに映画館に足を運んだ、という経験は無いですか?
私の場合、そんな青春の甘い情熱に浮かされていたのは、後にも先にも学生時代だった70年代中頃~80年代初めにかけてしかありません。
して、その女優とは…ミア・ファロー!(知ってる?)
先月下旬、”大女優の息子自殺!”というニュースをネットで見たら、彼女の息子さんのことなのでした…
最近は沢山の養子を含めたお子さんを巡り、色々取り沙汰されているみたいですけど、人生の晩期、上手くやって欲しいものです。
売り出し中の頃は、ビートルズらとインドのマハリシ・ヨギのキャンプに参加するなど話題をさらったりしましたが、彼女には大女優なんて看板は似合いません。私の世界の永遠のスターなんです。…つまりはカルト女優ということになるでしょうか…
そんな彼女の少女のような華凛さ、どことなく知的でもあり、エキセントリックな魅力が如何なく発揮されているのが、この映画です。
そして又、この映画を思い出すたびに、今でも夕日を見ながら高揚感を覚える私の中の子供に誇りを感じてしまうのです…。
「フォロー・ミー」(72年英。キャロル・リード監督)
あの「第三の男」のキャロル・リード監督の遺作だそうです。
しか―し…追跡するのは、犯人じゃない…
ひょんなことから、上流階級出身のバリバリのエリートビジネスマンと結婚してしまったべりンダ(ミア・ファロー)でしたが、社交パーティに無理に参加しても、場違いな思いをさせられてばかり…その型にはまった、スノッブな世界…その流儀で何かと自分を縛ろうとする夫…やがてべリンダは不可解な外出行動をくりかえすようになり、浮気の疑いを持った夫が、アイスクリームに目が無い、とっぽい私立探偵(トポル)を雇うことになったのですが、尾行する探偵の目に映った妻の様子は…
B級映画館でホラー映画(英ハマープロ作の「ドラキュラの花嫁」と「フランケンシュタインの怒り」)をスナック菓子片手に息をのんで観ている彼女…
パークでイルカ・ショーを見ながら屈託なく喜んでいる彼女…
彼女はただ、自由に、息のつける場所を求めて、ロンドンの街中を彷徨していただけだったのです。
探偵の隠密行動も、すぐバレてしまった(というか、恰好がバレバレです)のですが、(彼女には彼の正体は分からず、ただのヘンな、とっぽい人としか認識してません)二人には言葉は交わされなくとも、アイコンタクトだけで理解し合える信頼関係が生まれ始めました…近過ぎず、離れ過ぎず、一定の距離感で(これが肝心)…
ダンナも趣味がよく、とても知的でそれ自体は、素晴らしいこと(そこに彼女が惹かれた)なんですが、頭コチコチのわからんちんになってしまうのが問題でしたが、この謎の導師のような探偵からあるイニシエーションを受けることになるのです…
この映画の原題は”The Public Eyes”というそうで、これが何と”公の目”という意味じゃないですか!
これは”Private Eyes”という私立探偵の隠喩にひっかけたものらしいですが、私は、どうあっても、”言葉を超えた沈黙の眼差しに公の目が映ってくる”と言う意味が隠されているものと解したいです!
とにかく、現代は要らぬ言葉が多すぎます…愛に言葉は要らない…美しい夕日が出たら黙るしかありません!
この映画で完全にミア・ファローにノックアウトされた私は、やはり彼女の代表作の一つ「カイロの紫のバラ」のヒロインのように、彼女がここに出てきたら、どういう事になるだろうか? どういう言葉が交わされるだろうか? 彼女はずっと大人になり切れない少女みたいな人なんだろうか、それとも反戦とか女性の地位向上のために戦う闘士(ホントらしい)なんだろうか?…まるで誰かさんみたいな二重人格者なんだろうか?…
と、時々一人アンティークなロンドン辺りにあるような喫茶店で妄想を膨らませるのでした。
”君はまるで、ガラス細工で出来ているみたいだ、ガラスは壊れやすくて…そして、キレやすいよね…アリスン!”
”二つの顔を持つ人って、余程我が強くなくちゃ、一人で二人分の身なんて…とてももたないですよね…で、僕は今二人分ドキドキしてますよ!フレッチャー先生!”
”人間は見たまま、思われたままじゃない…それだと、最善のものを取り逃がしちゃうよ…ディジー!”
”君は一体何を宿しているの?…何時生まれ出てくるの?…それは幸福を呼ぶの?…それともわざわいなの?…ローズマリー!”
”黙ってちゃ、分かんないよ…そうか、君の瞳はこう言っているみたいだ…べリンダ!”
”黙って、私について来て…”
私の場合、そんな青春の甘い情熱に浮かされていたのは、後にも先にも学生時代だった70年代中頃~80年代初めにかけてしかありません。
して、その女優とは…ミア・ファロー!(知ってる?)
先月下旬、”大女優の息子自殺!”というニュースをネットで見たら、彼女の息子さんのことなのでした…
最近は沢山の養子を含めたお子さんを巡り、色々取り沙汰されているみたいですけど、人生の晩期、上手くやって欲しいものです。
売り出し中の頃は、ビートルズらとインドのマハリシ・ヨギのキャンプに参加するなど話題をさらったりしましたが、彼女には大女優なんて看板は似合いません。私の世界の永遠のスターなんです。…つまりはカルト女優ということになるでしょうか…
そんな彼女の少女のような華凛さ、どことなく知的でもあり、エキセントリックな魅力が如何なく発揮されているのが、この映画です。
そして又、この映画を思い出すたびに、今でも夕日を見ながら高揚感を覚える私の中の子供に誇りを感じてしまうのです…。
「フォロー・ミー」(72年英。キャロル・リード監督)
あの「第三の男」のキャロル・リード監督の遺作だそうです。
しか―し…追跡するのは、犯人じゃない…
ひょんなことから、上流階級出身のバリバリのエリートビジネスマンと結婚してしまったべりンダ(ミア・ファロー)でしたが、社交パーティに無理に参加しても、場違いな思いをさせられてばかり…その型にはまった、スノッブな世界…その流儀で何かと自分を縛ろうとする夫…やがてべリンダは不可解な外出行動をくりかえすようになり、浮気の疑いを持った夫が、アイスクリームに目が無い、とっぽい私立探偵(トポル)を雇うことになったのですが、尾行する探偵の目に映った妻の様子は…
B級映画館でホラー映画(英ハマープロ作の「ドラキュラの花嫁」と「フランケンシュタインの怒り」)をスナック菓子片手に息をのんで観ている彼女…
パークでイルカ・ショーを見ながら屈託なく喜んでいる彼女…
彼女はただ、自由に、息のつける場所を求めて、ロンドンの街中を彷徨していただけだったのです。
探偵の隠密行動も、すぐバレてしまった(というか、恰好がバレバレです)のですが、(彼女には彼の正体は分からず、ただのヘンな、とっぽい人としか認識してません)二人には言葉は交わされなくとも、アイコンタクトだけで理解し合える信頼関係が生まれ始めました…近過ぎず、離れ過ぎず、一定の距離感で(これが肝心)…
ダンナも趣味がよく、とても知的でそれ自体は、素晴らしいこと(そこに彼女が惹かれた)なんですが、頭コチコチのわからんちんになってしまうのが問題でしたが、この謎の導師のような探偵からあるイニシエーションを受けることになるのです…
この映画の原題は”The Public Eyes”というそうで、これが何と”公の目”という意味じゃないですか!
これは”Private Eyes”という私立探偵の隠喩にひっかけたものらしいですが、私は、どうあっても、”言葉を超えた沈黙の眼差しに公の目が映ってくる”と言う意味が隠されているものと解したいです!
とにかく、現代は要らぬ言葉が多すぎます…愛に言葉は要らない…美しい夕日が出たら黙るしかありません!
この映画で完全にミア・ファローにノックアウトされた私は、やはり彼女の代表作の一つ「カイロの紫のバラ」のヒロインのように、彼女がここに出てきたら、どういう事になるだろうか? どういう言葉が交わされるだろうか? 彼女はずっと大人になり切れない少女みたいな人なんだろうか、それとも反戦とか女性の地位向上のために戦う闘士(ホントらしい)なんだろうか?…まるで誰かさんみたいな二重人格者なんだろうか?…
と、時々一人アンティークなロンドン辺りにあるような喫茶店で妄想を膨らませるのでした。
”君はまるで、ガラス細工で出来ているみたいだ、ガラスは壊れやすくて…そして、キレやすいよね…アリスン!”
”二つの顔を持つ人って、余程我が強くなくちゃ、一人で二人分の身なんて…とてももたないですよね…で、僕は今二人分ドキドキしてますよ!フレッチャー先生!”
”人間は見たまま、思われたままじゃない…それだと、最善のものを取り逃がしちゃうよ…ディジー!”
”君は一体何を宿しているの?…何時生まれ出てくるの?…それは幸福を呼ぶの?…それともわざわいなの?…ローズマリー!”
”黙ってちゃ、分かんないよ…そうか、君の瞳はこう言っているみたいだ…べリンダ!”
”黙って、私について来て…”