人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

親は親

2017-03-09 18:35:42 | 回想
何処にでもやたらとネガティブな事を言っている人が居ますね。
以前、いつも”どうせ僕はダメな人間なんですから…居なくてもいいんでしょ…”と、暗ーい雰囲気を周りに漂わせている人が居ました。
そして、親がどーたら、こーたら、”あんな親だから僕もこんなんなんだ…”と、今のダメな自分を親のせいにしていましたが…
だけどねえ…そういう因果論を言うんだったら、その親の親の因果が報いてきているんだし、そのまた親の因縁…と悪因縁の連鎖に縛られているって事じゃないの?…要するにこういうのは救いようのない話なんです。いくら考えたってどうしようもありません。
私の場合…いやもう、ヒドイ親だった…オヤジはその鬼のような母親の影響でとにかくエリート至上主義で、出来ない人間を徹底的にバカにしたり、今思い出しても恥ずかしくなるような自分については増上慢の言葉、相手に対しては差別的な言葉を平然と言っていたものです。
私も小学校上がる前は、その家伝?のスパルタ教育のハシリを受けさせられた事が有りましたが、父は私がいくら鍛えても出来ない人間(つまり生来のバカ)だという事を悟ったのか、幸か不幸か放免した(諦めた?)のです。私にはそういう鼻持ちならないテングの血も受け継いでいますが、バカにされる人間の気持ちもある程度分かるつもりです。
一方とてもナイーブな母は、このスパルタ流(ことにその嫁姑問題がより重くのしかかり)に着いて行かれず、心身共に参ってしまい、私が物心ついた頃(4~5歳)には入院して家に居ませんでした。その間は家政婦さんに懐いてしまい、退院して帰ってきた時は、”見覚えはあるが、ハテ誰だっけ…”と当惑してしまったことを覚えています。
母は喜んでいるようでもあり、泣いているようでもあり、やはり同じ気持ちだったようです。
母は繊細でしたが、これまた大変なわがままで、自分には多分身に付いていないであろう、あのスパルタ流を多分、イイカゲンなやり方で家政婦さんに押し付けて困らせていました。(おそらく自分の鬱積した思いをぶつけていたのでしょう)
程なくしてその家政婦さんは耐えられなくなったか、姿を見せなくなりました。
そうなると、母は体が弱いということもありますが、家のことをほとんど出来ません。食事は”てんやもの”ばかりでした。(たまに作る母の手料理、ことにロールキャベツは最高に上手かった!)
家の庭でぼうぼうに伸び放題の雑草と同じく(”雑草を無暗に抜くのは可哀そう”と言っていました)、私はほとんど放任されていました。
このように私の両親は父は厳格、母は病気がちだけど優しかったですが、どちらもわがまま…
こんな訳で、こんな親ならその因縁でロクな子しか育たないでしょう。マトモに相応の教育も愛情も受けていません。
こんな人間に一体誰がした!(もう、トシがトシなので手の施しようがありませんが…)私はもう親を…因縁を…神を恨む…
訳が無いでしょう!
ことにあのいつも寝てばかりいて、人の悪口ばかり言っていた、どうしようもない母…
彼女の存在なくして私は、ここでこんなブログなど書いていません。
精神的な道を歩み出すことも無ければ、人生の裏側に足を踏み入れることも無かったのです。
”お前はいつも神サマに守られているのよ”、”お前は将来、宗教家か哲学者になる…(そうはなりませんでしたが、精神的な道につながらなければ)お前はこの世で生きられないだろう…”
私はこの世的にはロクすっぽ親から教育らしいことは受けてきませんでしたが、こういう薫陶はずっと身に覚え込まされているのです。
そしてあの人生の裏側の時間を超えたような領域でまざまざと感じたものが有りました。
霊統とも言うべき、霊なる命を連綿と伝えているもう一つの知られざる家系的つながり…その時の目覚めに預かったことはそもそもがそれに依っていた、という事を…
そして、今生において私にその火(霊)種がもたらされていたのは母を通じてのものだった…と感じずにはおれません。
”親の因果が子に報いる…”ネガティブなものしか継承されないのだったら、そもそも生まれ出て来れる訳ないじゃないですか?
どんな親だろうと親は親です。命のつながりがあるのです。
否定的な思いに捉われてしまうということは自分を信頼していない、ということに尽きます。
自分を信じられない人は親も、命の親(神)も信じられません。
”カルマなんだからしょうがない…”そうかもしれません。だけどお釈迦さまじゃあるまいし、前世、前前前世のことまで分かる人なんてそう居やしませんよ。要するに思いに捉われているからカルマなのでしょう…カルマとは思いの集積ということですから。
まあ、そうなってしまうのも、抜け出すことも自分ではどうにもならないことですよね。(カルト思考の人はどんどん自覚なしに集積を重ねて行く)
しかし、それは自分の思い、力を超えたものが元々自分の内奥に霊なるつながりとして伝えられていることの裏返しなのです。
それは自己信頼から、思いを超えた現存から開かれるのです。



コメント
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