スブド、ことにその修法であるラティハン(修練という意味)との関連で言えば、多くの点で私がこのブログで書いてきたことと一致するところが有るのです。それは自分の力、意志を超えたものからもたらされるものなのですから…
同会を通じて、この”人生の裏側”の真実について多くのことを学ばされたのは確かな事です。
だが、何度も触れている通り、私はそれ以前からその領域に足を踏み入れており、それが同会と関わる上での下地となっていた、というのも事実なのです。何より意識の目覚めというものにも預かっていましたし…
しかし…私が何かの運命のいたずらか、スブドの門を叩こうと決心した時、それまでのことは白紙にしようという気持ちは持っていました。(どんな道にしろ、それが新たに学ぶという態度というものだと思います)
覚醒体験については自分の意志でもそうなのですが、これが本当に不思議なことに、何者かにロックされていたように封印状態になっていたのです。
従ってその後苦楽?を共にすることになる、多くの同胞の方たちには(たった一人のアブナそうな?青年以外は)その事実はずっと秘されていたのです。
それにしても、何故慎重かつ抜け目のない?私が、既に”スブドってとこはアブナイ、ヤバイ…”と認知しているに関わらず、そこへ踏み込んでしまったのでしょうか?
それは昭和59年秋から翌年春にかけて、霊魂の暗夜にも似たネガティブな思念にずっと捉われてしまうという精神的苦境に起因していました。
そしてその出口を見出した時、電撃のように私の脳裏をよぎったのは恩寵というものでした。(多分にS.ヴェイユに感化されていた)
”私は少し前にその恩寵のハタラキを目の当たりに預かったのではないか?…しかし…”
そして、その直後スブドに関する書物が公刊されたのです。(当然のことながらそこには”よからぬ事”は書かれていません)
”スブド…忘れかけていた名前…神の恩寵…内なる生命の覚醒…”
その動機は有体に言えば、”失われた至福の回復”といったところかもしれません。だが、それだけとも思えません。
あの覚醒の預かった事というのは、誰か師に付いたという訳でも、そういう然るべき道筋に従ってそうなったという訳でも無く、あくまで自己流だったのです。(本当はこういう言い方は全く適切でなく、事実は自己流も何も私の力を超えたものによるものです)
私は自分だけの主観という事で片付けられてしまうものでなく、もっと客観に身を置いて恩寵のハタラキ、そして魂の覚醒というものが如何なるものであるかを確かめようとしていたのかもしれません。(これはある意味でその恩寵のハタラキそのものに対する、そして自己自身に対する由々しき信頼の欠如、客観的領域へと迎合してしまう、私自身の弱さの表れでもあります。この問題は私の内面の根底にあるもので、常に向き合わされるものです)
そうしたものが私の脳裏に有った上で、ぶっちゃけた事言えば、スブドにまつわるその”よからぬ事”というのは私自身が直接見て、感じたわけでは無いのです。つまり”百聞は一見に如かず”ということ…おまけに入門に際しては3か月の待機(執行猶予?)期間が設けられていて、そこに横たわるであろう悪しき実例?も観察出来ますし、ヤバイと感じたらさっさと辞めりゃあいい、という感じも掴めました。
この期間で私の決心の決め手になったくらい忘れ難い印象を持ったのは、私が最初に出会ったスブド人O氏(この人に会って説明を受けよ、との指令を受けた)との交流でした。
如何にもニコヨンいういでたちで、人生に疲れ切ったか、達観したかのような表情のO氏。
もし、私がこの最初のスブドとの”接触”において、精神世界にありがちな霊界、霊的存在、死後の世界など夢想、空想を掻き立て、先入観を植え付けるばかりの言葉を聞かされていたら、入会を思いとどまったかもしれません。(そういうのが危険の兆候なんです!)
彼からはついぞ、”霊的な…”とか”魂というのは…”といったウカレた話は聞いたことがありません。その後何度も引き合わさせられることになる、ある観念に憑かれているという印象というものが無く、ノホホンとマイペースで何とも掴みどころの無い話をしていました。
そして私は大いにこの言葉に心が動かされものです。
”わしゃあ、スブドに入ろうとするヤツの気がしれんわい…”
私はこれまで宗教の勧誘などでどれだけ”この教えが最高なんですよ…救われるんですよ…悟れるんですよ…”といった甘い言葉を警戒してきたことでしょう。逆説的ですが、私はこれによりスブドへの信頼が芽生えたと言ってもいいのです。
しかし、ああいう人はスブド人の中でも極めて特異な存在だという事を知らなかったのは迂闊な事でした…。
同会を通じて、この”人生の裏側”の真実について多くのことを学ばされたのは確かな事です。
だが、何度も触れている通り、私はそれ以前からその領域に足を踏み入れており、それが同会と関わる上での下地となっていた、というのも事実なのです。何より意識の目覚めというものにも預かっていましたし…
しかし…私が何かの運命のいたずらか、スブドの門を叩こうと決心した時、それまでのことは白紙にしようという気持ちは持っていました。(どんな道にしろ、それが新たに学ぶという態度というものだと思います)
覚醒体験については自分の意志でもそうなのですが、これが本当に不思議なことに、何者かにロックされていたように封印状態になっていたのです。
従ってその後苦楽?を共にすることになる、多くの同胞の方たちには(たった一人のアブナそうな?青年以外は)その事実はずっと秘されていたのです。
それにしても、何故慎重かつ抜け目のない?私が、既に”スブドってとこはアブナイ、ヤバイ…”と認知しているに関わらず、そこへ踏み込んでしまったのでしょうか?
それは昭和59年秋から翌年春にかけて、霊魂の暗夜にも似たネガティブな思念にずっと捉われてしまうという精神的苦境に起因していました。
そしてその出口を見出した時、電撃のように私の脳裏をよぎったのは恩寵というものでした。(多分にS.ヴェイユに感化されていた)
”私は少し前にその恩寵のハタラキを目の当たりに預かったのではないか?…しかし…”
そして、その直後スブドに関する書物が公刊されたのです。(当然のことながらそこには”よからぬ事”は書かれていません)
”スブド…忘れかけていた名前…神の恩寵…内なる生命の覚醒…”
その動機は有体に言えば、”失われた至福の回復”といったところかもしれません。だが、それだけとも思えません。
あの覚醒の預かった事というのは、誰か師に付いたという訳でも、そういう然るべき道筋に従ってそうなったという訳でも無く、あくまで自己流だったのです。(本当はこういう言い方は全く適切でなく、事実は自己流も何も私の力を超えたものによるものです)
私は自分だけの主観という事で片付けられてしまうものでなく、もっと客観に身を置いて恩寵のハタラキ、そして魂の覚醒というものが如何なるものであるかを確かめようとしていたのかもしれません。(これはある意味でその恩寵のハタラキそのものに対する、そして自己自身に対する由々しき信頼の欠如、客観的領域へと迎合してしまう、私自身の弱さの表れでもあります。この問題は私の内面の根底にあるもので、常に向き合わされるものです)
そうしたものが私の脳裏に有った上で、ぶっちゃけた事言えば、スブドにまつわるその”よからぬ事”というのは私自身が直接見て、感じたわけでは無いのです。つまり”百聞は一見に如かず”ということ…おまけに入門に際しては3か月の待機(執行猶予?)期間が設けられていて、そこに横たわるであろう悪しき実例?も観察出来ますし、ヤバイと感じたらさっさと辞めりゃあいい、という感じも掴めました。
この期間で私の決心の決め手になったくらい忘れ難い印象を持ったのは、私が最初に出会ったスブド人O氏(この人に会って説明を受けよ、との指令を受けた)との交流でした。
如何にもニコヨンいういでたちで、人生に疲れ切ったか、達観したかのような表情のO氏。
もし、私がこの最初のスブドとの”接触”において、精神世界にありがちな霊界、霊的存在、死後の世界など夢想、空想を掻き立て、先入観を植え付けるばかりの言葉を聞かされていたら、入会を思いとどまったかもしれません。(そういうのが危険の兆候なんです!)
彼からはついぞ、”霊的な…”とか”魂というのは…”といったウカレた話は聞いたことがありません。その後何度も引き合わさせられることになる、ある観念に憑かれているという印象というものが無く、ノホホンとマイペースで何とも掴みどころの無い話をしていました。
そして私は大いにこの言葉に心が動かされものです。
”わしゃあ、スブドに入ろうとするヤツの気がしれんわい…”
私はこれまで宗教の勧誘などでどれだけ”この教えが最高なんですよ…救われるんですよ…悟れるんですよ…”といった甘い言葉を警戒してきたことでしょう。逆説的ですが、私はこれによりスブドへの信頼が芽生えたと言ってもいいのです。
しかし、ああいう人はスブド人の中でも極めて特異な存在だという事を知らなかったのは迂闊な事でした…。